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泊まったホテル
きのうまでハードな日程をこなしてきたので、きょうは太宰府でまったりと過ごす予定。
ちょうどホテルの前に「博多駅行き」のバスが来た。100円と表示されていたので、ためらわずに乗り込む。
ところが、太宰府行きの電車が出ているのはJR博多駅ではなく、西鉄の福岡駅だった(-_-;)。
博多駅からまたバスで引き返す(←まぬけ)。
しかし、なんとなく肌寒かったので、ルミチンがホテルに上着を取りに戻れてちょうどよかったかも。
結局、天神まで歩いていく。
特急に乗り、二日市で大宰府行きに乗り換え。
太宰府駅に到着。まずは参道にある、ちょっと浜田温泉チックな喫茶店・風見鶏で朝のコーヒー。
アンティークのディスクオルゴールが流れる店内
天満宮は後回しにして、300円で1日乗り放題の「まほろば号」というバスに乗り、いきなり観世音寺へ。
境内には日本最古の梵鐘(白鳳時代、国宝)や、碾磑(てんがい)という天平時代の石臼があり、古代の驚嘆すべきテクノロジーの一端をうかがわせる。
しかしおいらが見たいのは、宝蔵に収められている、九州最大の仏像コレクションなのだ!
昭和34年に建てられた宝蔵は高床式で、1階の入り口の前には何枚かのスノコが敷かれ、そこで靴をスリッパに履き替える。田舎の小学校の体育館のような貧乏臭い雰囲気。
拝観料は500円だが、まほろば号のフリー切符を見せると300円になる。
病院のような味気ない階段を2階に上がっていくと・・・
出た!
不空羂索観音(517cm)!
馬頭観音(503cm)!
十一面観音(498cm)!
撮影禁止だったので写真はないが、いずれにせよ、この凄さは現地で実際に見てもらうしかない。
とくに印象的なのが馬頭観音。この人、キングギドラと戦っても勝つだろう。
この世(あの世か?)に観音様は数あれど、馬頭観音は唯一「怒っている顔」の観音様だ。
しかも5mを超えるものは、この観世音寺の馬頭観音だけである。
みうらじゅんは「見仏記」の中で、「馬頭とか見るとさ、人間の想像力なんてあそこで終わってる気がするね。あれ以上のもん、俺見たことないよ」と語っている。まさに同感。
大小16体の仏像は全て重要文化財。
しかし、並んでいる仏像を順番に解説するテープが流れているのはいいが、やはり仏像はお堂の中にあるべきだ。仏教美術は建築と彫刻でワンセットなのである。同じ「並べてあるだけ」でも、東大寺の三月堂はあんなにスバラシイではないか。
もっとも、この仏像たちはいずれも平安時代から生き抜いてきたわけだから、これからもコンクリート製の宝蔵よりずっと長生きすることは間違いない。彼らの次なる住み家が、真に彼らにふさわしいものであることを願わずにはいられない。
宝蔵を出たあと、コンクリートの溝をジャンプして飛び越えようとしたルミチンが完全に目測を誤り、溝の角に足をぶつけた! 思い出しても寒い光景!
幸い、ひざのお皿と向こう脛のちょうど中間だったため、わずかな擦り傷だけで、内出血も思ったほどではなかった。別府のSPEAK
EASYの兄ちゃんの、友達が団地の4階から転落した話なんて聞いたのが悪かったのかなー。
足をさするルミチン
観世音寺の隣に建っているのが戒壇院。
平安時代、国家公認の僧になるためには全国に3つしかない戒壇院のいずれかで受戒することが義務付けられていた。奈良東大寺(中央戒壇)、栃木薬師寺(東戒壇)、そして観世音寺(西戒壇)である。
したがって、ここは西国で仏門に入ろうとする学生の全てが登壇した場所なのだ。
(ただし江戸時代に観世音寺から独立して、禅寺になっているらしい。)
平安時代にタイムスリップしたような風景
戒壇院
「薫酒肉 境内に入るを許さず」と書かれた戒壇石。
二つに折れているが、修繕するのも危険なので、折れたまま並べてあるらしい。
本堂に安置されている盧遮那仏(るしゃなぶつ)、両手をキャッチャーのように構えているポーズがめずらしい。
日本に盧遮那仏は3体しかなく、ここと、あの有名な奈良の大仏、そして唐招提寺の盧遮那仏だけであるらしい。
そう言えば、ルミチンは奈良公園でも額から鉄柱に激突したことがあった。
もしかしたら、盧遮那仏に嫌われているのか?
もし唐招提寺に行ったら、今度はどこを怪我するのだろう・・・?