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今回の4泊5日で、別府は通算31泊38日。おいらは中学の修学旅行を、ルミチンはユースの旅を含めると、それぞれ32泊40日となった(笑)。
しかし88湯めぐりのスタンプの数は、今回5個増えて、やっと26個。
温泉名人になるには、あと何年かかる・・・?
ふじやのからあげ
県北の中津市にはからあげ専門店が約20軒あるという。
ふじや植野店では500g購入したが、地元の人はキロ単位で買って帰るらしい。
都道府県別の鶏肉消費量の第一位は熊本県だが、一人あたりの消費量では大分県が全国一だとか。
酢醤油やカラシで食べる大分名物の「とり天」は、40年ぐらい前、大分市にある「キッチン丸山」が、からあげを女性客にも食べやすくするため、骨のない部分に水で溶いたメリケン粉の衣を付け、天ぷらのように揚げたのが元祖だと言われている。
ところが「キッチン丸山」は、同じ大分市の「いこい」の厨房で働いていた人が独立して出した店であるらしく、さらに「いこい」の当時の主人は、実は別府の「みつばグリル」出身だったという説がある。
これが事実なら、とり天の元祖はみつばグリルだった可能性もあるわけだが、当のみつばグリルは表立って「元祖」を主張しているようすはない。
これは別府ならではの奥ゆかしさゆえであろうか?
遠〜い親戚?
我々が泊まった日、鶴田社長はあいにく入れ違いで東京へ出張中だった。
2日後の誕生会でお会いしたとき、実は我々には普通の宿泊客に出す料理とはちょっと違うものを用意したと話してくれた、イエ〜イ。
6月の「アプランティ」での会食のときに話題になったのだが、今回初めてお会いしたツルタの女将さんは、ルミチン妹の尚ちゃんが嫁いだ郷司家の一族であるらしい。尚ちゃんのダンナの父方のおじいさんが大分の日出(ひじ)出身で、鶴田社長の結婚式にも出席したそうだ。
永石(なげし)温泉
博多さんの話で、北海道からのお客さんが、別府の共同浴場の脱衣場と浴場の間に仕切りがないことにひどくカルチャーショックを受けていたという。たしかにここも「田の湯」もそうである。竹瓦や不老泉のように、脱衣場から階段で浴場へ降りていく構造のところでも、その間にドアや間仕切りがないことに変わりはない。
たしかに北海道では、浴室にドアがないと寒そうだし、脱衣場にも湯気がもうもうと立ちこめてしまいそうである。
千馬(ちば)
もうすぐ50周年を迎えるというこのお好み焼き屋は、もともと藍胎漆器(らんたいしっき。別府の特産品である竹細工に漆を塗った工芸品)の職人だったおばちゃんの父上の工房だったという。頑固一徹の職人さんだったらしいが、おばちゃんの作るお好み焼きや焼きそばにも、そのこだわりの遺伝子が感じられる。お好み焼きの生地が違うのだ。大阪の人がわざわざ食べに来るというのもうなずける。「おばちゃんのお好み焼きを食べたら広島でなんか食えたもんじゃない」と言った広島の人もいたそうだ。
藍胎漆器(日本竹の博物館)
千馬の藍胎漆器は、本物の漆にこだわり続けたため、採算があわなくなってやめてしまったのだという。
つげ工芸の安藤さんは言う。「最後には本物が残るっていうのが本当だと思うんだけど、本物にこだわればこだわるほど儲からない世の中だから、難しいよね」
中浜地蔵尊
ここは水害を鎮める神社と言われているが、約500年前、鶴見岳の噴火と大地震で、別府湾の瓜生島(うりゅうじま)と、この地区の東にあった村落が海に沈み、この神社の周辺に移り住んだ避難民が数百人もの被害者を祀ったというのがその由来である。
そして、そのときの火砕流によって焼かれ、のっぺらぼうになったお地蔵様が現存すると言い伝えられているのだ!
さっそく確認しに行ったところ、お堂の中に祀られている3体の中の、向かって左のお地蔵さん、たしかに目鼻が見えない。右側の、頭部のないお地蔵さんも不気味!
鶴見地獄
我々のテーマのひとつは、別府の古地図や絵葉書にのみ存在する「幻の地獄」が、今はどうなっているのかを調べること。(たとえば「鉄輪地獄」は現在の陽光荘である。)
霊泉寺という、境内に入るだけでも300円の拝観料を取られるナゾのお寺がある。外からのぞいてみると「鶴見地獄」と書かれた看板が目に入る。ここが昔の鶴見地獄なのか?
受付に人がいない場合はとなりの土産物屋に拝観料を払うことと書いてあったが、その土産物屋はまだ開いていなかった。仕方がないので勝手に中に入っていくと、境内を掃除しているおばさんがいて、話しかけてみると「私が(お金を)いただきます」と言う。おばさんに600円払って、別府の歴史を研究している者だと伝えるとひどく感激してくれて、飲み物をサービスしてくれた。
どんどん中へ入っていくと、本堂の裏に、ぶくぶくとわき出る温泉を発見!
なんと、鶴見地獄は現存していたのだ!
鶴見地獄の裏手は小高い山になっていて、そこを上がると、五百羅漢の像が観音様を取り囲んでいる。しかし、かんじんの観音様がいない(笑)。
あとでおばさんに聞くと、強風や地獄の湯気で鉄柱が折れてしまったので、別の場所に保管してあるのだという。
おばさんのすすめで「絵画館」を見学する。
ゆるやかなスロープになっている細長い通路の壁面に、片側は極楽、片側は地獄の、木彫りとおぼしき巨大なレリーフが飾られている。
上から入ったのだが、本当は下から見ていくのが正しい順路のようだ。
やはりおもしろいのは地獄絵図の方で、地獄の亡者が鬼どもにブツ切りにされている極彩色のレリーフは圧巻。
下の写真は、我々が入ったところ、つまり本来は出口にあたる場所に祀られている「歓喜天」。
今回は鶴見地獄の発見ですっかり舞い上がってしまったが、この霊泉寺、もっと時間をかければ、鬼の骨やカッパのミイラなど、とんでもないものが出てきそうな予感がする。
霊泉寺のすぐお隣りが八幡地獄だったと聞き、行ってみると、そこは「前八幡児童公園」という名の公園になっていて、温泉のポンプが残るのみだった。
茶寮森澤
陶芸家であるオーナーが自作の器で京風会席料理を食べさせるお店。
と言うとまるで「美食倶楽部」のようだが、民芸調の店内はいたって素朴で、テーブルがコタツだったのには驚き。
炭火焼きコースや会席コースが3000円からと価格もリーズナブルで、さらにランチタイムは季節の定食が1500円、もりさわ定食が2000円。
田園風景を眺めながらいただく料理はかなり本格的で、大満足。
帰りには、福引きでぐい飲みと箸置きが当たってしまった。ラッキー!
吉弘神社
こんなところを見たがる観光客はほとんどいないと思うが、この神社の本殿の裏に吉弘嘉兵衛統幸(むねゆき)の墓がある。1600年、豊後の関ヶ原ともいわれる石垣原合戦において、西軍石田三成に見方して挙兵した大友義統の家臣だ。
よほどカリスマ的な人物だったのだろう。正確に言えば、もともとこの墓が先にあって、これをご神体とする神社があとから作られたわけである。
本殿と拝殿は最近新築されたばかり。以前の建物は残念ながら見ていない。
輪(りん)
現在「鉄輪茶寮」が入っている店舗は、前は「輪」という林さんご用達のお好み焼きとパフェの店だった。おいらもミルクプリンパフェのファンだったが、お店が日出に移転。林さんが探し回り、ようやく見つけた移転先のお店は二階建てで、2階からは井戸の「つるべ」を思わせる木製のリフト(写真下)で品物の上げ下ろしをするのがおもしろい。
林さんによると、由布院の「天井桟敷」という喫茶店のパクリだそうだ。おいらはまだオリジナルの方は見たことがない。
季節のメニュー「おいもパフェ」を食べた。うまい!
やっぱりここのパフェは西の横綱だ!(もちろん東の横綱は・・・)
100円ショップ&白石保栄堂
岸で開催される「別府八湯ML11月誕生会」にそなえ、プレゼント用に、トキハの地下の100円ショップで縦笛(リコーダー)や巨大なルーペなどを購入。
そのあと、白石保栄堂でおはぎと吹雪と茶饅頭、コンビニでパックのドリップコーヒーと「週刊モーニング」を買い込み、宿でのんびり。これぞまさに至福の時。
エッチ美容室でめかしこんだルミチンから、宿に戻らず直接「岸」に向かうという連絡があったので、おいらはのんびり温泉に入ってから出発。
別府ML11月誕生会
11月生まれとして出席されたのは深瀬さん、鶴田社長、入舟荘の美鈴さん、ITOデザイン事務所の伊藤輝和さん、そして吉永さん。
スタッフおよび参加者は・・・
岸ママ、姫野由香さん、財前京子さん、タケヤのママ、伊藤秀美(チョッキー)さん&お友達の蜂須さん、石井さんご夫婦、手島さん、後藤幸さん、野上さん、門脇さん・さゆりさんご一家、辻さん、陶子さん、栗田さん、都留さん、菅健一さんファミリー(ゆきちゃんが大きくなっててビックリ!)、じんさん、奥野さん、結城さん、時枝さん、有田町役場の花田さんご夫妻、藤井さん、河野英一さん、みちこ先生、水口さんご夫妻、ルミチン、としちん・・・これで全部ですか〜?(-_-;)
出席者数もすごければ、お手製の料理&差し入れもすごい。
「岸」に入りきれない人が外の七輪でアジを焼く姿も・・・。
ルミチンレポートの「姫野さんメニュー」以外では、ヨッシー提供のゲソ天、別府八湯温泉饅頭(八湯饅頭のパクリ商品)、そして荒巻稲荷餅店のお餅。
一般に、ネットのオフ会は意外な出会いを可能にする反面、出入りが激しいため人間関係が希薄で、終わったあとも一抹の虚しさを伴いがちである。
しかし別府八湯MLのオフ会は、参加者の多くが接客業あるいはクリエイターであるため、人間的魅力に満ち、なおかつ別府を愛する気持ちでつながっている点で、空虚さを埋め合わせるために群れ集う都会のオフ会とは一線を画している。別府のポテンシャルの高さは、こういうオフ会ができる土壌に如実に示されている。
明礬湯の里
意外にも今回が初めての訪問。
バスが鉄輪にさしかかると、毎月第三日曜に実施している「鉄輪ゆけむり散歩」の一行が見えた。
降りるバス停を間違えて、ひとつ先の「特別養護老人ホーム静雲荘」まで行ってしまった。この区間に限って、とても歩いて戻れないほどすごい距離がある。
少し待って、逆方向に戻るバスに乗って岡本屋売店で下車。
ここで降りたら、もはや地獄蒸しプリンを食べるほかはない(笑)。
朝食もまだなので、おにぎりや温泉タマゴも買った。どれもうまい。
湯の里の駐車場には観光バスが5台ぐらい止まっていた。さすがに行楽シーズンの日曜日である。
露天風呂も大賑わい。
しかし男湯は、ガイドブックなどで見る写真よりもずいぶん狭かった。
女湯は写真通りだったという。ずるいよなー。
実は硫黄の臭いが苦手なルミチンは、5分ぐらいで出てしまったという。
そうとは知らず、いつも男湯から先に出て、ルミチンが出てくるのを待つのに慣れているおいらは、外のベンチでのんびり「温泉本」や、「スパポート」にたまったスタンプをながめていた。
大阪から来た若者のグループが「それ、何ですか?」と話しかけてきたので、温泉道について説明をすると、興味津々のようす。
ところが、どうやら彼らの中のひとりが別府出身で、グループの案内役だったにもかかわらず、温泉本の内容をほとんど知らなかったため、みんなからバカにされていたのがちょっと気の毒だった。
その間、ルミチンは板塀をはさんで反対側のベンチに座っておいらが出てくるのを待っていたらしい。お互いに気がつくまで、30分ぐらい時間をロスしてしまった。
さっきのバスの一件もあって、ルミチンは度重なるタイムロスに落ち込み気味。A型なのでこういう無駄を嫌うのである。
幸い、鉄輪行きのバスは数分のうちにやって来た。
鉄輪滝湯の跡
いでゆ坂で、鉄輪ゆけむり散歩を終えたばかりのラッキーおのさんと遭遇。
せっかくの機会なので、鉄輪滝湯の跡に案内してもらった。
渋の湯の前は何度も通っているが、その裏側にこんな貴重な遺構が残っていたとは!
旧富士屋旅館再生工事の現場などを見て歩いていると、ひとりは温泉本を手に、ひとりは勝太郎のおはぎをほおばりながら歩く女子大生とおぼしき二人組を見かけた。おいらとルミチンのようなアヤシイ観光スタイルを継承する若者たちも出てきたんだなあとしみじみ(笑)。
讃州堂
以前ルミチンのために、時期でもないのに「朝見神社の嘉祥菓子」をわざわざ作ってくれた末光さんのお店、和菓子の「讃州堂」へ立ち寄る。
実はここは奥さんの実家で、末光さんはJR職員から脱サラしてこの店を嗣いだ「お婿さん」なのだそうだ。
大人気商品の苺大福をいただく。白あんと苺のハーモニーがすばらしい。
職場へのおみやげは塩月堂のゆずまんが定番だったが、今回はここの栗饅頭「里の栗」を宅配便で送ってもらうことにする。
この店のカステラや焼き菓子に使われている小麦粉は、原材料名には単に「小麦粉」と書かれているが、実は国産小麦(佐賀)である。ここにも、「元祖とり天」を主張しないみつばグリルや、こちらから「おいしい」と言わない限り、自ら素材の秘密を明かそうとはしない鉄輪のみゆき食堂と同様、別府的な奥ゆかしさがある。
たしかに、わかる人がわかればいい問題なのだけれども、食品の安全性に対する関心が高まっている昨今、安全なものを探し求めている人たちへの最低限のガイドはあった方が親切かもしれない。
ちょうど佐藤眞幹さんから電話。ゆうべの誕生会は不意の来客で参加できなかったが、今から時間があるとの事。とりあえず讃州堂まで来てくれるという。
眞幹さんへのおみやげとして和菓子をいくつか買い足すと、それより多いぐらいの和菓子をサービスしてくれた。ありがとう〜。
眞幹さんの車が到着。和菓子をプレゼントすると、奥様がここの和菓子のファンであるらしい。眞幹さんご自身は、白石保栄堂ぐらい甘い方が好きだとのこと(笑)。
末光さんの話では、白石保栄堂のような老舗は、昔ながらの手作業であんこを練っているらしい。だから1日に作る量も限られている。それを70円とか80円で売っているのだから、これでよく生活できるものだといつも感心するのだが、頑固な職人にとって、損得勘定の問題ではないのだろう。つげ工芸の安藤さんの話を思い出す。
塚原温泉
眞幹さんの「由布院へ行きましょう。どんなコースで行きましょうか」という話の中に、塚原温泉の名前が出てきたので、まさにその塚原温泉に入ってみたいと伝える。
途中、十文字展望台から別府市の全景を眺める。
塚原温泉は、駐車スペースを探さなければならないほど混んでいた。
ここは以前、後藤幸さんに連れてきてもらったときは温泉には入らなかった。今は「温泉道」のスタンプも新設されているので、入浴料は500円と少々高いが、入ってみることにする。
塚原温泉は硫酸塩泉で、成分表にもあるように、なんとpH1.4という強酸性の湯。明礬の山田屋と同様、長く入っているとポコチンの先っちょが痛くなってくる。(郡司さんの場合は肛門にくるらしい(笑)。)
女湯から、赤ん坊がギャンギャン泣いているのが聞こえる。痛いのか、それとも単に熱いからか? いずれにしても、おいらが親だったらこんな危険な湯に赤ん坊を入れようとは思わないが、あるいは別府の赤ん坊はこうして鍛えられるのかも??
あーでん
由布院へ向かう途中の牧場では、日没寸前の由布岳と鶴見岳の色の変化がすばらしく幻想的だった。今回の旅でもっとも印象的なシーン。
午後5時ちょっと前に、別荘をカフェに改造した「あーでん」に到着。
ここは2年ほど前に別府MLで、JBLスピーカーの名器「パラゴン」のある喫茶店として話題になった。メインアンプも真空管式。こんどピーターハミルの「ファイヤーシップ」を持ち込んで、かけてもらいたいなあ〜。
この「あーでん」のある一帯は、温泉が出なかったことから開発が遅れ、昔のままの由布院のたたずまいが残っているという。「オルゴールの森」的に原宿ナイズされた中心部がキライで由布院が好きになれなかったおいらも、これが由布院の本来の姿だと聞いて大いに納得。
しかし、今は技術の力で温泉を掘ることができるようになり、この地域にもホテルなどが徐々に建ち始めている。ちょっと心配だな〜。
別府近代建築史 『地霊(ゲニウス・ロキ)』
別府観光産業経営研究会(産研)の設立20周年記念事業として、1993年12月1日に発行された。別府観光産業経営研究会(産研)発行、定価1万5000円。
地霊とは「大地に宿るという精霊」のこと。東京大学工学部建築学科の鈴木博之は「場所の可能性」のことを地霊と呼び、本書は別府という土地が持つ大きな可能性に建築史の立場からせまったもの。
中野さん、ほんとにもらっちゃっていいのですか? ありがとうございます!!
次回はおいらがおごりますので、千馬で好きなもの食べてね!(笑)
さいごに
今回の別府旅行は、博多さんの昭和30年代の別府のお話から始まり、千馬のおばちゃん、つげ工芸の安藤さん、讃州堂の末光さんのお話、そして「日本竹の博物館」の見学と、はからずも「別府の誇り高き職人文化」にふれる旅となった。
いつもお世話になっている別府の方々に対し、恩返しの意味を込めて、最近、日本温泉協会発行の「温泉」という雑誌に「別府温泉における日常と非日常」というタイトルの投稿をした。最後の部分だけ引用してみる。
・・・最近になって、ようやく別府でも、厳選された88ヶ所のホテルや旅館の温泉、共同浴場を巡るためのガイドブック「温泉本」や、ガイドさんと一緒に竹瓦界隈を歩く「路地裏ウォーキング」など、サービスのマニュアル化への試みが始まったことは、大いに歓迎できる材料だと思います。
そして、これをさらに発展させるための議論の場において、「日常」「非日常」という言葉は重要なキーワードになりうるのではないでしょうか。
今回の旅は、新たに「プライド」というキーワードが加わったと思う。
近々、改めて自分の考えをまとめてみるつもりである。
おまけ写真
別府駅の観光インフォメーションを使いまくるルミチン。
背後に映っているのは別府駅名物「タクシー客引き軍団」(笑)のみなさん。
北浜にて。