顕宗、仁賢

 
■紀生磐の正体

485
顕宗弘計)即位。

弟の「ウォケ」の方が先に即位したのは、兄の億計は高璉をバックに任那に渡り、反乱を起こしていたからだ。

『書紀』の487年、紀生磐(きのおいわ)宿禰が任那から高麗へ行き通い、三韓に王たらんとして、官府を整え、自ら神聖(かみ)と名乗ったとある。
その事件の前に、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が任那に使いしたとき、月の神が人に憑いて「わが祖タカミムスヒノミコトは天地をお造りになった。田地をわが月の神に奉れ」と言い、その2ヵ月後、今度は日の神が人に憑いて「倭の磐余の田をタカミムスヒノミコトに奉れ」と言ったとある。
「任那」「神」といった共通のキーワードがあり、「月の神(日の神)=紀生磐」であると推定される。

紀生磐には市辺押磐の「磐」があり、市辺押磐の子・億計は別名「大石尊」という。磐とは一般に巨石(大石)のことである。
『書紀』はそのように「紀生磐=億計」を匂わせているが、キャラクター的にはかなり違和感がある。
弟の弘計よりダメっぽく書かれているのは実はカムフラージュで、実際の億計は好戦的で、宗教的カリスマ性があり、民衆を扇動する力があったことを伝えるために、紀生磐という別名が用いられたようだ。
億計は百済の反東城王勢力を扇動してクーデターを起こしたが、最後は東城王に鎮圧され、任那から倭国に戻ってきたようである。

487
・顕宗崩御。

488
仁賢(億計)即位。

顕宗は即位後わずか3年で亡くなり、兄の億計が仁賢として即位した。

・百済は数十万の兵をもって北魏に攻められることになった(『南済書』東南夷蕃)。

これだけだと北魏が百済を侵略したように読めるが、億計の帰国後も、億計に洗脳された百済の反東城王勢力はまだ収まらず、文明太后が東城王を救援するために軍を派遣したのである。そしてクーデターに参加した多くの者が処刑された。
東城王がなんとか百済王でいられたのは北魏というバックがあったからだが、時代は移り変わり、文明太后と、老齢だった高句麗の高璉が相次いでこの世を去る。

490
・北魏の文明太后死去。

491
・高句麗の高璉死去。孫の高雲が即位。
 

■エフタルと多婆那国

494
・北魏、平城(大同市)から洛陽に遷都。

北魏の孝文帝は脱騎馬民族志向の人で、学問があり、仏教にも傾倒し、何でも中華風を好んだ。文明太后が没したのを機に、全中国を支配すべく洛陽に都を移した。

北魏の遷都によってその勢力は遼東や半島にまで及びにくくなり、北魏と高句麗をバックとする仁賢政権にも陰りが見え始めた。『書紀』にはこの年、武烈が立太子したとある。『書紀』や『三国史記』において、立太子の記事があるときは王権が危うくなってきたサインである。
また、遼東や半島に新たな騎馬民族の侵入を許すことにもなった。
中央アジアで発生し、ササン朝ペルシアをも苦しめ、一大帝国となったエフタルである。

498
・仁賢崩御。

仁賢は11年秋に崩御したとされ、翌年に武烈が即位したことになっているが、私見では武烈即位は502年なので、それまで倭王不在の期間があった。

499
・北魏の孝文帝、文明太后の姪にあたる馮氏を殺害。

殺された馮氏は、孝文帝の最初の皇后だった。これにより馮氏一族は北魏から一掃された。

500
・新羅の炤知死去。

炤知が死んだ頃、倭人が攻めてきたという。
倭人とは「倭国から来た人」であって、必ずしも倭国人ではない。
炤知を殺した倭人は、履中〜市辺押倭系の仁賢でもなければ馮氏系の東城王でもなく、列島に渡って最初の拠点を丹波に置いたエフタルだった。そのリーダーは炤知の次に智証として即位し、のちに列島に戻って継体天皇となる人物である。継体については「神代3」でも少し触れたが、ここに再掲しておく。

BC19
倭国の東北千里の場所にある多婆那(タバナ)国の王が娶った女国(不明)の王女が大きな卵を産んだ。卵は海に捨てられ、流されて金官国に流れ着いたが人々は怪しんで拾わず、辰韓の海辺で拾われ脱解と名付けられた。(『新羅本紀』)

ここには「倭国」とある。その中心を北九州とすると「東北千里の場所にある多婆那」に該当するのは丹波(タンバ)であろう。現在の兵庫県丹波市は内陸だが、律令制以前の丹波は但馬や丹後を含み、若狭湾に面した宮津や舞鶴も丹波だった。
多婆那国とは、実は5〜6世紀中央アジアに実在したエフタルの国の名前で、紀元前にはまだ存在しなかった。
継体が日本海ルートで列島に渡り、定着した場所を(休氏の「ヤマト」のように)「タバナ」と呼んだのが訛って「タンバ」になったのだろう。つまり継体の故郷が多婆那国であり、継体がエフタルだったことを証明する地名なのだ。
『新羅本紀』はさらに後年に書かれたものだが、倭国の東北千里の場所とは丹波のことで、その地名の由来が中央アジアの多婆那国であることを知っていたのだ。「女国」というのも、3世紀前半のヒミコを盟主とする列島が「女王国」と呼ばれていたことから、倭国を暗示していることは確実だろう。