2014/01/25 ホキ美術館

 
2010年11月、千葉市緑区にオープンしたホキ美術館。
日本初の写実絵画専門美術館として当時テレビでも地味に話題になり、興味はあったのだが、ようやく行くことができた。

JR外房線の土気(とけ)駅からバスが出ているが、30分に1本くらいなので、もし出たばかりだったら歩いても15分ぐらいで着く。
(左下に↑を付けたところが目的地。)

参考ビデオを1本。

   

超写実は、アングルやフェルメールなどの古典的な写実絵画とは趣が異なり、モチーフが現代的で、その描かれ方も、ハイビジョン映像的なリアルさ(もちろん絵筆で描いているのだが)と、カメラでしか切り取れない一瞬の描写が特徴である。
芸術がわかる人にもわからない人にも、とりあえず「スゴーイ、写真みたいだ」と言わせることができる、全ての人に開かれたジャンルの絵画である。
だから「芸術」かどうかは別として、少なくとも立派な「芸」ではある。

近代絵画の夜明けは「現実世界の忠実な模写」から脱却しようとした印象派の画家たちによってもたらされた。
写真術というテクノロジーが出現し、絵画と写真がそれぞれの役割を分担するようになった時代でもあり、その時点から、いずれ抽象絵画が生まれてくるのも時間の問題だったと言える。

【参考】ほとんど抽象画に近い風景画。(木村忠太「柿の木」1970)

ちなみに、今でこそ油絵の具はチューブに入っているのが当たり前だが、昔は顔料を油で溶くという作業を画家が自分で行なっていた。チューブが開発されて初めて印象派の画家たちのように屋外での作業が可能になったのであり、これもまた大きな技術革新だった。
音楽の世界で、スタジオにさまざまな機材や楽器を揃え、何人ものスタッフがいなければ不可能だったレコーディングが、やろうと思えばMacBookで1人でもできるようになったように、技術革新は芸術家の意識、芸術そのもののあり方に影響を与える。

モネの「睡蓮の間」で有名なオランジュリー美術館は、実はモネ以外にも知られざる傑作が目白押しで、そこでは19世紀から20世紀にかけての、絵画の自由、表現の自由を求める創造エネルギーが爆発する瞬間に立ち会うことができる。芸術は何をしても自由なのだというメッセージを、ヘタな現代アート以上に強く感じることができるのだ。

現代アートは、自由すぎるがゆえの行き詰まりに陥りがちで、ひらたく言えば、芸術なのかゴミなのかわからないものも多い。
そんな現代アートシーンの中で、絵画というもっともアナログな世界にコンピューターの映像処理という最新のテクノロジーを導入した超写実がもたらしたものは、皮肉にも19世紀の「現実世界の忠実な模写」への回帰だった。
1秒間に何十コマも撮れるカメラを使って一瞬を切り取り、そのたった1枚を、キャンバス上に絵筆で何ヶ月もかけて模写した作品を見て感じるのは、たしかに「不自由であることを選ぶ自由」もあるわな〜ということだった。

全て日本人画家の作品なので、ここに外国の作品があるといくらか風通しがよくなるのかもしれない。
超写実とは言え、いや超写実だからこそ隠しようもなく現れてしまう宮崎駿アニメチックな日本人的情感が、おいら的には少々息苦しく感じられてしまう。

ホキ美術館は交通アクセスの悪さもあってバスツアーの団体客も来るが、他の美術館同様、画集やポストカードの売店に大勢の客が群がっている。
しかし超写実は現物にしか価値はなく、ポストカードのサイズに縮小してしまうとほとんど意味をなさない。
北斎なら切手サイズにまで縮小に堪えうるのだが(笑)。