07/06/17 徳島へ
 

6月17日

徳島の2日目はお墓参り。
今の家は藍住町に引っ越していてJRの最寄り駅は勝瑞駅であるが、おいらが住んでいた頃の最寄り駅は阿波大谷駅。お寺も鳴門市大麻町にある。
母はいつも電動自転車で行くのだそうだが、今回はおいらとルミチンが付いていくので、勝瑞駅からディーゼルカーに乗る。
なんと、勝瑞駅に自動券売機が置かれていた! 文明開化や!
しかし池谷駅では特急の通過待ちのため15分停車。
このへんはあいかわらずノンビリしてるな〜。

きのうマユミさんに車で送ってもらった帰り道、大谷の景色がまるで違っていた。
道路の北側にあるべき堀江郵便局が南側にあり、阿波神社は正しく北側にあったので、郵便局が移転したのかと思っていたが、きょう歩いてみてその謎が解けた。
きのう走ったのは古い街道の北側にできた新しい道路で、ちょうど堀江郵便局の裏側を通り、阿波神社の手前で旧道と合流していたのである。
古い郵便局を改築する際、入口が新しい道路側に面するように、表と裏を逆向きに建ててあったのだ。
道理で景色が違っていたわけだが、旧道沿いの景色は子供の頃とほとんど変わっていなかったので、ホッとするようなガッカリするような・・・。

お墓がある東林院のとなりに宇志比古神社というのがある。
昔は神社仏閣や歴史にはほとんど興味がなかったので、こんなところに神社があることさえ知らなかったが、母の子供時代には盛大なお祭りもあり、地域の信仰を集めていたそうである。
ネットで調べてみたら、江戸時代には八幡宮と呼ばれ、宇志比古神社になったのは明治以降であるらしい。本殿が異常に古くて立派だと思ったら、慶長4年(1599)に建立され、平成12年に国の重要文化財に指定されたらしい。

八葉山東林院(写真上)は四国八十八ケ所の第1番札所・霊山寺(りょうぜんじ)の奥の院とされているが、新四国曼荼羅霊場八十八ケ所というのもあって、ここはその第1番札所でもある。
弘法大師がここに滞在し、農業を奨励したことから種蒔大師ともいう。
数々の仏像や七福神像が立ち並び、その奥には広大な墓地が広がっている。

お墓参りをすませると、一行は次の目的地・阿波神社へ。

東林院から田んぼのあぜ道を歩いて阿波神社へ。
ここには土御門上皇(承久の変で土佐に流され、のちに阿波に移る)の火葬塚(写真上)があるのだが、上皇を祭神とする阿波神社が整備されたのは最近(戦後)のことであるらしい。
社殿もそこそこ立派なのだが、もともと大麻町には大麻比古神社があるので、ここに初詣に来る人はほとんどいないだろう。
おいらが子どもの頃は堀江北小学校にも大麻中学校にもプールがなく、阿波神社の境内にあった25Mプールを使っていた。もうさすがに取り壊されていたが、そんなわけで昔は阿波神社と言えばプールの代名詞だったのである。

堀江タクシーで大麻比古神社へ。

境内では結婚式を挙げたばかりとおぼしき新郎新婦の記念撮影が行なわれていた。
新郎は頭のハゲたおやじさんで、最初は花嫁の父親だとばかり思っていたが、ずっとこの2人の写真ばかり撮っているので、やはりこの2人の結婚式だったのだろう。
そばを通ったらオバサンに懐かしい「お嫁さんのお菓子」をもらった。
これは徳島の習慣のようである。興味のある方は「お嫁さんのお菓子」でググってみてほしい。

ルミチンは社務所で「全国一ノ宮御朱印帳」に御朱印をもらっていたが、生きている間に全部埋まるんだろうか?(-_-;)

本殿の裏にある「めがね橋」や「ドイツ橋」(写真上)を見物。
第一次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵約千人がこの近くの板東俘虜収容所に収容され、彼らが帰国を前に記念として造ったものだそうである。
映画「バルトの楽園」のロケ村が公開されていて、それほど遠くはないのだが、タクシーで来た長〜い参道を歩いて帰るだけでもヘトヘトなのでパス。

一番札所・霊山寺の近くにある「大鳥居苑」でゴハンを食べる。
タイやカツオの刺身定食、うまかった!

一番札所の霊山寺(りょうぜんじ)は、日曜日ということもあり、善男善女で大賑わい。
仁王門にはお遍路ルックのマネキンが立ち、すぐ隣にはお遍路グッズ専門店もあって、霊場であると同時に浅草寺のような観光スポットでもある(規模はかなり違うが)。

仁王門をくぐると、別府の海地獄や昔のスギノイパレスの「夢の大浴場」のような、一種独特のエキゾチックな空気が漂っている。
パンダの置物はあるし、泉水池にはブリのようにまるまると太った錦鯉が泳ぎ、ハスの葉の上でひざまづいて阿弥陀様(?)を崇める金色の子どもの像が6体(-_-;)。

薄暗い本堂の中はいかにもスピリチュアルな空間だが、ここにもお遍路グッズの売店があり、八十八ケ所巡りに必要な旅支度が全て整うようになっている。

坂東駅まで10分ぐらい歩いて徳島行きに乗り、母は勝瑞で降りて、おいらとルミチンはそのまま徳島へ。
現在の駅ビル(写真下)が建ったのは10年以上も前のことだと思うが、4つしかないホームは昔のままで、陸橋にエレベーターが付いた以外、駅の中身は全く変わっていなかった。

眉山の方へ歩いていくと、なんと丸新デパートがない!
たしかに、デパートなら駅前のそごうで間に合ってしまうし、駅ビルにも専門店街ができたため、かつて県下一の繁華街だった東新町はひどいさびれようだった。
31年前にヴァンダーグラフの「ゴッドブラフ」やジェネシスの「静寂の嵐」を買ったフクタレコードはかろうじて営業していたが・・・。
パチンコ屋が非常に少なくなっているのも印象的だった。
ギャンブル中毒患者が減ってつぶれてしまったのか、あるいは大きな駐車場のとれる郊外に移転したのか。
立派になっていたのは徳島中央郵便局のビルだけだった。

30分ほど市内をぐるっと歩いて、再び駅の近くまで戻り、徳島っぽくないシャレた珈琲専門店でアイスコーヒーを飲む。

勝瑞駅まで帰り、マルナカでビールを買って家に戻る。
夜はビールと麦焼酎で、清チャンもおいらもけっこう酔っ払ってしまった。
ひと昔前なら77歳なんて死んでてもおかしくないトシなのだが、うちの両親、たしかに外見はそれなりに老けたけれども、非常に元気である。
別居してた頃の方がそれぞれにやつれた感じがあったので、なんだかんだ言っても、やはり2人でいることの安心感というのは大きいのだろう。
おいらより長生きしそうだな〜、この人たちは。

3日目→