遠かったブエノスアイレス(3月19日)

 
書き忘れていましたが、ドーハの時間は日本より6時間遅れ、そしてアルゼンチンは、ドーハから更に6時間遅れるので、日本とはちょうど、昼夜が反対になります。
ドーハで一泊したとはいえ、また16時間ほど飛行機に乗って、相当疲れていたのか、朝6時のモーニングコールまで、全く目がさめませんでした。
私はよく、旅行先で眠れなくなるのですが、今回だけは別。毎日思いきり眠れました。その代わり、飛行機ではほとんど眠れませんでしたが。

朝食のテーブルにつくと、すぐ「オラ」と言われ、だれに言っているのかと思ったら、おらに言っていた(笑)いえ、深い意味はありません、このしゃれを書きたかっただけ。でも、声をかけられたのはほんとうです。コーヒーか紅茶かを尋きにきたのでした。

7時半にガイドの康子さんと、ドライバーが迎えに来て、一緒に港へいきました。
今日は日帰りで、ウルグアイにいってきます。
私は、みみっちいことを考えていました。この旅行の代金は、私のプランでいくと、英語ガイドでよければ、一人24万円くらいなのです。ところが、私は英語ができませんから、いちいち日本語ガイドを付けました。そうすると、一人6万くらい高くなって、一人30万円ちょっと、旅行社に払いました。で、後から聞いたら、私がいくツアーは、混載ツアーとかいって、いろんな人たちを混ぜての、英語ツアーだというのです。
そこで私は、考えてしまったのです。その混載ツアーに、知らない日本人がいて「ちょうどよかった、日本語ガイドがいる。私たちも通訳してもらおう」と、代金も払わないで、私が血まなこになって(汗)払ったガイドを、一緒に使うんではないかしら。
そんな心配をしていたのですが、なんと私がいくツアー全て、日本人は私と母だけでした。
タンゴショーも、迷った末に日本語ガイドを付けたので、他に日本人はいたけれど、別の車になりました。私が英語を覚えればいいんだけれど、実はそんな気はもうないし、これはこれで、とてもよかったです。

さて、いったんアルゼンチンを出国して、ウルグアイにいく、その船がなかなかきません。
やっと船が来て、川へ出ました。
私実は、これをずっと海だと思っていたのですが、旅行に来てから、ここが大西洋でなく、ラプラタ川だと分かりました。だって、グーグルをみても「湾の反対側のウルグアイ」なんて書かれていたから、てっきり海かと。
しかしどう見ても、海としか思えない川だそうです。ただ、水は汚ないそうです。残念。

港でも船でも、寒くて参りました。この日のブエノスアイレスの気温は、携帯でみた天気予報によれば26度で、ちょうどいい温度なのに、アルゼンチン人はクーラーが好きなのでしょうか?港も船も、がんがんに冷えています。私も母も、少しでも涼しくない席を探して、うろうろしました。
康子さんは「私は下にいる」と、あきれていたかもしれません。2階建ての船を、あちこちうろうろし、荷物は座席においておくと置き引きに遭うとのことなので、バッグを持って移動していました。
帰りの船ではちょっとずうずうしくなって、ペットボトルを置いて席をとったりしましたが。

やっとウルグアイの、コロニアに着きました。
ここはアルゼンチンと違って、とても治安のいい所。年に一度殺人がおきるだけ、それも、男女間のもつれの殺人だというので、まず私にも母にも関係なさそうです(笑)
混載ツアーというだけあって、港にはドライバーの他に、知らない外国人のお客たちも待っていましたが、そのお客たち3人は、途中のホテルで降りて、私と母と康子さんだけ、コロニアビーチに連れてこられました。
着いたら11時40分で、もう私としては、なんとなくお腹が空いたので、レストランに入ることにしました。といっても、新潟でいう浜茶屋みたいな感じ。つまり、屋根と柱があるだけの、でもテントよりはもうちょっといい、そんな建物のレストランに思えました。
お昼は、ハンバーグとじゃが芋とアイスクリームなんだけれど、ここのじゃが芋がほんとに甘くて、さつま芋かな?と思う甘さでした。でも、みんな美味しかった。アイスクリームは量が多くて、母に少し食べてもらいました。
その後は2キロほど歩いて、世界遺産の「コロニア・デ・サクラメント」へいくか、このままビーチに残るか、但しトイレは、このレストランにある一つだけ、と聞かされ、もう迷わず、ビーチに残ることにしました(笑)だって、どうしてコロニア・デ・サクラメントが世界遺産かを聞いたら、南米で唯一、スペインでなくポルトガルが町を作った所なんですって。というのはどういうことかというと、スペインと違って、石畳みがとても、不規則なんですって。そんな所を歩くなんて、いやだ。海じゃなくて川なのは少々がっかりだけれど、早くあのラプラタ川に入りたい!

砂浜を下りていって、靴を脱ぎ、川に足だけ入ってみました。
私は川っていうのは、波がないと思っていたら、どうしてどうして、海みたいにジャップンジャップン、波があるんですね。
外の気温は暖かいのに、水は確かに冷たくて、これはやはり、水着を着て泳ぐわけにはいかない温度でした。
しばらく入って、上がって、また入るかと言われたけれど、あの長い階段を下りて、痛い砂浜を歩くのが、少し面倒になってしまって、もう川には入りませんでした。
といって3時まで、ドライバーさんは迎えに来ませんから、たっぷり...康子さんとしゃべりました。
康子さんは、たまきこうじのファンだっていうことを聞きました。
「たまきこうじの5回目の結婚は、週刊誌によればだけどもうすぐ終わりそうよ。次に狙ったらいいわよ。だけど大変らしいわよ、DVがあるんですって」
と言ったら
「大丈夫、1回殴られたら、私は2回殴るもん」
ですって。
それから、ブラジルでは最近、治安が悪い国っていうイメージを一掃しようと、真剣に犯罪をふせいでいる、というその中で、27才の日本人男性が捕まったそうです。自分の携帯やらパソコンやらが盗まれたと届けたのですが、なんと全部、ホテルにあったんですって。ホテルを探そうと言ったら、この彼が異常にいやがって、すぐ分かったそうなのですが、この日本人、半年は投獄されるそうです。アルゼンチンもそのくらいやればいいのに、どうも怪しい日本人がいる、と康子さんは言います。例えば、携帯電話を無くした、まあいいですわ、保険で払ってもらえますわと言いながら、ちっとも悲しそうな顔をしていない、そういう日本人がいるのだそうです。
私なら携帯が無くなったら泣いちゃうのに、と、これはもう私と康子さんで、意見が共通でした。

やがてドライバーさんが迎えに来て、また同じ道のりを、アルゼンチンへ向けて帰ったわけだけど、帰りの船では、フリーショップをみにいきました。要するに免税店です。
母が寒がって、服を何か買おうと思ったのですが、みんなものすごい値段。一番安いのでさへ、6千円ちょっとなのですが、その6千円は、どうも、しょぼいのです。私がいいなあと思ったセーターは、2万円だし。結局何も買わず、通訳だけしてもらいました。

夕食はどうする?と尋かれ、パスタの美味しい店があるというので、康子さんも一緒にいきましょうよ、通訳もして欲しいし、そのお店からホテルまで600メートル、母と二人、道を間違わずに帰る自信もないしと誘い、食べてもらうことにしました。
港に来ていたドライバーさんに、ブロッコリーノという、そのパスタの美味しい店の名前を言い、そこで降ろしてもらいました。
私はキャビアソースのパスタを食べてみたけれど、なんだかこう、キャビアが生臭くて、美味しいとはいえませんでした。ただ、パスタの堅さが、ほんとに日本人向けのアルデンテでした。
アルゼンチンは日本に入ってこないだけで、実はワインの生産量が世界で5番目なのだと、先日ラジオで聞いたので、日本に入ってきていないという、パタゴニアワインを飲んでみました。私はコップに2、3杯も飲めばもういいし、あとは康子さんに持って帰ってもらいました。

ホテルまで歩く途中に、私の好きなもの、スーパーマーケットがあったので、そこでペットボトルのジュースと、康子さんお勧めの、飲むヨーグルトを買って帰りました。
この日は、夜11時頃寝てしまって、午前0時は体験できませんでした。(たぶん続く)