遠かったブエノスアイレス(3月16から18日)

 
瀬賀倫夫(みちお)さんっていう、フォルクローレのギタリストがいらっしゃいました。
その瀬賀さんの、最後のコンサートに、偶然いけたのですが、その時「ブエノスアイレス午前0時」という曲を、弾いていたんです。
後でしらべたら、ピアソラの曲なんだそうですね?
その曲そのものは、実は憶えていないのですが、なんだか静かな曲だったなあと、うっすら思うのです。
ほんとにあんな静かな曲だったのか、それとも瀬賀さんは、その頃もう相当に具合が悪かったので(コンサートの10日後に亡くなりました)弱々しく弾いたのかは分からないんですが、ブエノスアイレス午前0時って、どんな感じなんだろう?いってみたい!

そしてもう一人、私をつき動かした人。それはペルー旅行の帰り、ヒューストン空港で、6時間も待ち時間があった時に話した、知らないおじさんでした。
自分はアルゼンチンへ仕事でいってきた、仕事でいったけれども、牛肉はうまかったし、いい所だったと、そのおじさんは言っていたのです。
ペルーで私が一番辛かったもの、高山病はどうですかと尋いたら、ブエノスアイレスは高い所なんかじゃないんだよ、大丈夫だよとのことでした。

そういう訳で、おじさん二人に動かされて(失礼)ブエノスアイレスにいってきました。
3月11日に、もちろん新潟市も揺れたのですが、ただ、お金をもう払ってあったし、キャンセル料もかかるし、新幹線も動くし。
唯一地震の被害は、どこの宅急便会社も、荷物を受けつけてくれなかったこと。
仕方なく、スーツケースを持って、家から成田空港へいきました。
JR上野駅から京成上野という、一番長い道のりは、知らない女の人が持ってくれました。ありがとうー。

3月16日、電車がどの程度動くか分からなかったので、集合の6時50分より1時間早く着くように、成田空港へいったのですが、チェックインで並ぶ並ぶ。やっと荷物を預けた時には、7時を軽く過ぎていました。
もうお腹が空いてたまらなかったので、夕食を食べたいです、お店はどこですかと尋いたら、空港職員さんが、もう次の出国の列に並んで下さい、飛行機に乗ったらすぐサンドイッチが出ますからって。
8時50分発の飛行機ですから、サンドイッチに会えるのは、どう早くても9時半です。そんなの待っていられるか(怒)
幸い、レストラン街にいくと、すぐに私の目的の店、お茶漬け屋さんがみつかりました。
二年ぶりにいくこのお茶漬け屋さんで、焼き鮭のお茶漬けを食べ、鮭はあぶらが乗って美味しかったし、だしも美味しく、無理して来てよかったなと思う味でした。
前と変わっていたこと、お金が前払いになったんですね。前は確か、後で払ったように思うのですが、今は入口を入ってすぐ...レジがあるのです。無銭飲食ができないのは、いいかもしれません。

7時50分過ぎに急いで出国し、8時50分の飛行機を待てども待てども、出ません。ほーらやっぱり、食べてきてよかった。飛行機が出ないので、その間に軽食をお配りしますと言われ、カタール航空の、ドーハ行きに乗る人たちだけ、パンとオレンジジュースをもらえました。地上で食べる機内食、安定して食べられて美味しい!
しかし、よろこんでいられません。ドーハから乗り替える飛行機は、ドーハに私が到着した2時間後に出るのです。次の飛行機も間に合わなかったら、どうしよう!
アルゼンチンへ電話して、旅行社の指示をあおごうにも、なぜだか電話がつながりません。
日本の旅行社は、夜ですからもちろん留守電です。
私の担当の旅行会社のスタッフ、山本さんへメールしても
「私山本は、3月16日から24日まで、海外出張です。お急ぎの場合は、他のスタッフが担当します」
という、自動返信のメールがくるだけ。ですから急いでおります、早くお返事下さいと書いても、返信は同じです。
なんで自分が居ない時に出発する客を、担当するんだよ(ムカ)

私がどんなに怒っても、あせっても、飛行機は飛ばず、結局夜11時、成田空港が閉まるので、欠行になりました。
こんな時間に帰れと言われても、どうしようもないので、カタール航空指定のホテル、ガーデンホテルへ泊めてくれることになりました。
空港の電気はいつの間にみんな消され、私たちが歩く所だけ、ポツリポツリと灯りがつく、そんな成田空港の、長い長い動く歩道を歩き、もう一度日本に入国し、預けたスーツケースを受けとりました。
「日本を出てから買ったものはありますか?」
あるわけないでしょ!どこへもいってないんだから!と思わず食ってかかりました。
そして、QR803便の乗客になるはずだった人たちは、専用バスでホテルにいきました。
この時の支払いは、カタール航空が持ってくれたようでした。

翌3月17日。朝になって、ホテルの部屋のドアに、メッセージの紙がはさんでありました。
8時過ぎに、詳しいことが分かります、というそれだけのものでしたが、そうか、こうやってメッセージが届くのかと、ちょっとおもしろかった。
朝食を食べて、8時過ぎに部屋のドアを開けると、おー、いつの間にまた紙が来ています。
「1時半にドーハ行きが飛ぶ、10時45分にバスが出る」ということを、日本語と英語で書かれています。
いよいよあせる私。ドーハにいったって、次の飛行機の席がないのよ!
10時になるのを待ちわびて、日本の旅行会社、ファイブスタークラブに電話しました。
どうやら前夜、何度も送ったメールはみてくれたようでした。だったら電話くらいくれよ、泣いてるんだから(t_t)
とりあえず空港にいって下さい、乗りつぎの飛行機は、これから席をとりますと言われ、支度をしてバスに乗りました。

成田空港へいくと、再びチェックインの長い列に並びます。
昨日よりも却って、長かったように思います。
そしてやっと私の番がきて、空港職員の話を聞いたら、旅行社と話が違うんです。
え?と思って、また旅行社へ電話し、また空港職員に話を聞き、やっと「ドーハに泊まれるかどうかは、ドーハに着いてみないと分からない」ということだけ分かりました(汗)
私がドーハに着くのは、夜11時、次の飛行機は翌朝7時55分、それだとホテルに寝るか、空港のロビーに寝るのか、微妙なところなんだそうです。
上方落語の「七度狐」という噺に
「わい野宿とか山宿はいややねん。できたら宿屋宿の布団宿がええねん」
というような台詞があったけれど、私も空港宿はいやだ。できたらホテル宿のベッド宿がいい、そう思いました。ところがドーハは、乗りつぎだけならビザは要らないんだけれど、宿泊となるとビザがいるのです。
どうなるか分からないけれど、いってらっしゃいと、ファイブスタークラブの私の新しい担当、桜本さんに言われ、飛行機に乗りました。

ところが、ドーハに着いてみると「二人同じ部屋でいいですか?」と、英語で尋かれます。
どうやら、宿泊させてくれるようです。
ビザのお金はかかっても、やっぱりホテルで寝たい。よかったなと思いつつ、何人かで車に乗って、ホテルにいきました。
とうとう、ビザの話は出ませんでした。どうやら、ビザなしで泊めてくれたようです。そうですよね、もう夜遅いから、ホテルからどこへもいかないんですもん。

ホテルに着いたら、アフターディナーはどうですかと言われ、私は飛行機で食事は食べている、ただ喉がかわいたなと思って、食堂にいきました。
いろいろ、バイキングの食事があったようだけれど、ジュースが飲みたいと言ったら、ジュースはモーニングだ、スープはどうかと言われ、オニオンスープを飲みました。そのスープの美味しかったこと!旅行中美味しかったものの、ベスト1か2に入りそうな味でした。
お腹は減っていないと言いつつ、スープの他にプリンも食べて、夜1時過ぎに眠りました。

翌3月18日。朝4時過ぎに起きて、軽くでもなんでも、朝ごはんを食べておきました。そして、5時半出発だというので、またバスに乗って、空港へいきました。
ここからまた、飛行機に14時間乗ってサンパウロでいったん着陸し、また2時間飛んで、ブエノスアイレスに着きました。
一瞬降りてみたサンパウロは、蒸し暑くてびっくりしましたが、同じ南米でもブエノスアイレスは、すがすがしくてさわやか。なんでも、現地の言葉で、ブエノスはよい、アイレスは風という意味があるんだそうです。船乗りたちが、いい風が来るように願って、この地名をつけたのかもしれません。

空港では英語ドライバーが待っているかと思いきや、日本語ガイドのマリアエレーナさんがいて、とても安心しました。
今夜から三泊の宿、デ・ラス・アメリカスというホテルに着き、お風呂に入ったり、なんやかやしているうちに、午前0時になりました。
よかった、外へ出れなくても、午前0時が経験できた!(続く)