パラオの旅 最終日

 
日づけが6月26日に変わる頃、ホテルのロビーに集合しました。
今日のガイドは、あら、秋山さんです。
最後にもう一回、石川さんに会いたかったので、少し残念でした。
パラオ発、深夜2時35分の飛行機なので、こんな時間にホテルを出たのですが、空港に着いたら意外なほど時間が余ったので、ゆっくりお土産物を見学。
鮫のぬいぐるみの歯の手ざわりが、あまりによかったので、母にあきれられながら、しゅもく鮫だったかな、こわい魚のぬいぐるみを買ってきました。
早朝グアムに着いて、いきは私は「要らない」と言われたのに、帰りはちゃんと?指紋をとられました。3年前、ヒューストンの時は、両手の人差指だけだったのに、今は10本の指全部なんですね。ガラスのようなものにあてて、指紋をとります。母はちなみに、いきも帰りも「要らない」と言われ、がっかりしてました。がっかりだわと母が言ったら、税関のおじさんが笑っていました。
いきと同じ店でラーメンを食べた、つもりが、店を出てから、いきと違う店だったと気づきました。どうーりで、いきの時は発泡スチロールのどんぶりで、帰りのお店ではプラスチックの入れ物だと思ったわ。
つまり、あのグアムの空港に、最低2軒は、ラーメンとおそばのお店があったんですね。びっくり。
それと、おにぎりにとても飢えていたので、またビジネスクラス用の部屋に行ってみたけれど、帰りはおにぎりは全くなく、私が苦手な、あのパサパサのベーグルしかなかったので、帰りはここでは何も食べませんでした。

グアムから新潟へ帰ってきたら、急に母の足が痛くなって、飛行機を降りたあたりから、タクシー乗り場まで、ずっと母だけ車椅子でした。今はまた、少し歩けるようになったけれど、あの時はちょっと、どうしようかと思いました。
その母より、もっと重症だったのが、うちのスーツケース。実はいきの飛行機でも、ある程度こわされていたのですが、ホテルに着いてから気づいたということで、保険の手続きをしてもらえませんでした。でもせっかく、海外旅行の保険に入っているんだし、帰りにこわれたことにしよう、新潟空港で一芝居うって下さいね、よろしくねと添乗員から入れ知恵され。
出てきたスーツケースは、見事に底が全部はがれ、車輪も全部とれて、いきの時なんてもんじゃない、もう、使いものにならない状態になっていました!パラオの人は、よく荷物を投げるんだそうです。
底が抜けたっていうことは、スーツケースの中の、私の下着やくだらないものが、飛行機の倉庫に落ちているんじゃないかしらと、そっちを心配したけれど、それはないっていうんでそのまま帰ってきました。
これはもう、一芝居もなにも、あきらかに航空会社のミスなので、コンチネンタル航空、にいくのかと思ったら、荷物の受宅は日本航空なのだそうで、日本航空の事務所へいきました。
スーツケースは幾らでしたかと尋かれても、うちの姉がおいていったもので、母も私も値段を知りません。
実は5千円までしか出せないんですと言われ、5千円いただいてきました。
これで新しいスーツケースを買おうと私は言い、母は「美味しいものでも食べよう」と言っています。

最後はアクシデントで終わったけれど、パラオは実は第二希望の旅行先だったけれど(やっぱりほんとうは、ロシアかアルゼンチンへいきたかった)でもそのわりに、思いきり楽しんできました。
まず、旅の準備が楽でした。
昨年ボルゴグラードへいく時は、いく当日までボルゴグラードのガイドがみつからず、ユーラスツアーズのスタッフの方と、言いあいというか、むしろ喧嘩のようにメールのやりとりをしなければいけませんでしたが、今回はそれがありませんでした。せいぜい、新潟交通さんから「あなたは**はしてはいけません、**にいってはいけません、**をできるかどうかはお約束できません」と、何度も電話をもらったくらいで、でもそれも、総て向こうではできました。
こんなに海で泳げるなら、またパラオにいってもいいなと思いました。
ものすごく痛かった火焼けも、だんだん治ってきて、うれしいような寂しいような、複雑です。
パラオで幾度となく、マンゴージュースを買ったのですが、みんな向こうで飲んでしまって、今冷蔵庫に残っているのは、ホテルで買った一缶だけ。これは、いつかどうしても寂しくなったら飲もうと、とってあります。海を思い出して、飲もうと思います。ミルク。