ボルゴの旅 3日目

 
6月20日。
朝ごはんが旅行代金に入っているのは、実は昨日が最初で今日が最後です。
朝はちゃんと食べなければ(笑)
今日の午前は、アンナさんは忙しくてガイドがいないので、母と二人だけで、デパートへいくことにしました。
土曜日だから、休みっていうことはないと思うけれども、フロントにきくと10時からだという。
デパートはこのホテルから三つ目の建物だ、というようなことをアンナさんが言っていたので、9時50分頃ホテルを出てみました。
そして、10時前にデパートに着くと、やっぱり?日本と同じように、人が待っています。
そして間もなく
「ただいまボルゴグラード中央デパート開店でございます」
ともなんとも言わずにドアが開き、いらっしゃいませともなんとも言われず、みんなぞろぞろ入っていきました。

1階は携帯や、携帯ストラップのようなもの。といっても、私が今使っているような、ソフトクリームの形のストラップだの、そういうものでなくて、アクセサリーみたいな感じ。
素通り?して2階に上がる。もちろん、階段です。
2階に洋服があったので、そうだ、夏物のズボンが欲しかったのだと思い出す。
婦人物のズボンを母に探してもらうと、私にもはけそうな、しかも私の好きな綿のズボンを発見。片言のロシア語で「試したい」と言うと、店員さんがカーテンの内側へ連れていってくれました。そして、なぜか椅子まで用意してくれたので、カーテンの中に入り、椅子に座ってズボンをはいてみました。足の長さが、私の足よりズボンの方が長く、ロシア人は足が長いんだなと知る。しかし、ウエストはちょうどよかったので、買うことにしました。900ルーブル、日本円で3,000円くらいです。東京で買わなくてよかった!
すそあげをしてもらいたかったんですが、そんなのを頼んだら、取りに来ないといけない、かもしれません。私は今日もうモスクワへいくので、すそは母に上げてもらいました。
また歩いていたら、もう一着気になるズボンが。今度は綿ではなく、ポリエステルですが、私の好きなツルッとしたきじなのです。やはりロシア語で「試したい」と言うと、他にも何着か持ってきてくれたけれど、最初にさわって気にいったものを買うことにしました。
こちらは1,200ルーブル。1,400だったのですが、まけてくれました。感激。
これは長ズボンではなく、八分丈くらいなので、すそ上げもいりません。
片言のロシア語で服を買えて、大満足だったけれど、ただ、部屋へ帰っても暑いんです!
クーラーはあることはあるんだけど、全然効かない。
それで、ホテルの近くの、昨日とは違うカフェで、ケーキを食べることにしました。
母は「昨日みたいにホテルのバーにいこう」と言ったけれど、どうーせなら違う所へ入ろうと思って。
ナプリオーンというのがなんのことか分からなかったけれど、頼んでみました。
出てきたケーキを一口食べて、あ、ナポレオンだと気づく。
美味しかったんだけど、あまりに多くて残してしまいました。
母はアイスコーヒーを頼んだら、出てきたものは、日本でいうコーヒーフロート。なまぬるいコーヒーに、アイスクリームが浮いています。そして私が頼んだリンゴジュースは、相変わらずなまぬるい。どうもこの国は、飲み物を冷やすという考え方はない、のかもしれません。

部屋に帰るには、まだ時間がありました。アンナさんとの約束は一時だし。昼も無言電話はあるし。なので公園のベンチにでも座ろうかと思ったけれど、それも暑そう! しかたなく部屋に戻り、また無言電話かと思ったら、早くチェックアウトをしろという電話でした。どうも、12時がチェックアウトらしいのです。アンナさんとの約束は1時だけれど、しかたない、12時半に部屋を引きはらいました。

1時にアンナさんが来て、荷物はフロントに預けました。スーツケース一個と、母と私のリュックで、90ルーブルでした。
そして身軽になって、最後?の目的地、市場へ。
その前に、ものすごくいいにおい!
挽肉と玉葱の入ったあげパンを、道路で売っているんです。
座る所もなんにもないから、食べながら歩いて、水を飲む時間もないから苦しいには苦しかったけれど、ものすごく美味しかったです。
「市場のどこをみたいの?」とアンナさん。みたいっていうか、お土産を買いたいと言ったら、それならここはだめよと、お菓子屋さんに連れていかれました。
ボルゴグラードは実は、1925年までは、ツァリーチンという名前でした。元々タタール人からの攻撃にそなえて、1589年に作られた要塞が、町に発展したそうで、それでこの町名になりました。
ところが1925年、ご存知?のようにスターリングラードに変わりました。
1961年、フリスチョフが「スターリンなんてきらいだよね」と言って、町名をボルゴグラードに替えました。
その三つの町名が、一枚ずつチョコに書いてあるやつを、ロシア語のクラスメートたちにあげようと思って、たくさん買ったんだけど。こんなに重いものを、苦労して持って帰って、大きらいなクラスメートのあの人にあげるかと思ったら、妙にむなしくなって、その大きらいな彼にあげないなら、他の女の子たちにあげるわけにもいかず。結局チョコは、クラスメートではなく、私のもっと大事な友達へ送ることにしました。苦笑。
「あとなにか欲しいものはある?」とアンナさんに尋かれ、それじゃああのー、ボルゴグラードと書いたTシャツが欲しいと言ったら、やっぱり市場じゃだめよと、地下のお店屋さんに連れていかれました。
ボルゴグラードと書いたやつは、最後の一枚でした。やった!
他にチェブラーシカ(ロシアのアニメキャラクター)のもあったんだけれど、これがXXLで、あまりに大きかったので、買えませんでした。
もう買いたいものはなかったし、2時15分だったけれど、ホテルに戻ってきました。
アンナさんは3時までの約束だったけれど、用事が終わっちゃったし、さようなら、またねと挨拶をして、アンナさんは帰っていきました。

スーツケースを返してと、荷物の預かり札を持っていったら、フロントの人が「あなたのドライバーがもう来ている」と英語で教えてくれたそうで、来ているんならもういこうと、まだ2時40分だったけど、車に乗り、空港へいきました。
ボルゴグラードは気にいったかい? とドライバーさん。
来た時と同じ人だったそうです。
うーん、気にいったけれど、ムールマンスクほどの感動はないわ。
それに、あの無言電話があるうちは、もう来たくない、というのが正直な感想です。

小さいけれど、それでもムールマンスクよりは明らかに立派な空港へ着き、実はモスクワから来る時もそうだったんだけど、国内線なのに、靴を脱がされました。靴を脱いで、ぼろぼろのビニール袋に足を入れ、それでセキュリティーを通るんだけど、その、足を入れた袋、私のはなんと穴が開いていて、靴代わりというかトンネルでした。だから当然捨てるのかと思いきや、次の人が使うんだって。驚きだ。
そして、これらの作業はみな、お客が自分でやります。
従業員は、座って命令するだけ! 国際線との違いでしょうか。
「お嬢さん、ペットボトルを持っているじゃないの」と、従業員に叫ばれたけれど、いいの、国内線は持って入れるはずよと、通り過ぎたら、それ以上おっかけてはきませんでした。

飛行機でパンとハムとおやつの、簡単な夕食を食べ、7時にモスクワ着。
ところが、だれの荷物も出てきません。というか、機械が回っていません。
ドライバーは飛行機到着後、1時間しか待ってくれないと、旅行社から言われていたので、とにかくドライバーを探し、待っててよね、ね、荷物が出ないからと、目と態度で頼む。だってドライバーは、柵の向こうだったから。
それよりなにより、私はトイレにいきたくて参りました。揺れる狭い飛行機の中よりも、空港でいこうと思ったら、荷物を受けとるより手前には、トイレがないのです。涙。それに、真野さんに電話しなければいけません。でも、ドライバーと話してもらわないといけないから、今かけても意味がない。しかし、あせっていたのはなんと私と母だけ。他のロシア人たちは、のんびりと?悠然と?待っています。
30分後、やっと機械が回り始め、みんな荷物をとり、私もやっとトイレにいけて、そして車に乗りました。
運転手にはアルバート通りで降ろしてくれと、旅行社から話はいっているはずなのですが、詳しい場所は説明しなければいけません。そこで、真野さんに電話、しようと思ったら、私の携帯でうまく電話できない。あせっても、やり方が分からないので、ドライバーさんに番号を見せて、かけてもらうことにしました。
「こういう時はね、プラスを押すんだよ、分かる?」
と運転手に言われたけれど、そのプラスというのがどれなのか分からず。結局、ドライバーの携帯でかけてもらいました。
以後、真野さんや山上さんとの、ロシア語のやりとりは、私には分かりません。しかし、電話中もず
っと運転中で、おまけに、どんな話になったか「そちらのナンバーを教えてくれ」とドライバーが言って、メモをとり始めたんで、頼む、前も見てくれ!と祈る(汗)

8時半過ぎ、アルバート通りに車が着きました。
降りるのかなと思ったら、ちょっと待ってと言われ、ドライバーだけ先に降りて、待っていた山上さんと後閑さんを探してきてから、私たちとスーツケースを降ろしました。気温15度の、寒いアルバート通りに、あほ二人をおいていくわけにはいかないと思ってくれたようで。
キャア会えた会えた、よかったと、女4人がよろこびあうのを見てから、ドライバーは帰っていきました。
後閑さんが私たちのスーツケースをずっと引いて歩いてくれて、といってもタイヤがこわれていたから、ものすごく重かったと思う、ごめんなさいね。
15分ほど歩いて、ムームーというカフェに着きました。
昨晩ボルゴグラードで入ったお店も「カフェ」で、レストランよりは一段安いはずなんだけど、ここは、もっと安いみたいで、ものすごい人でした。
お盆に欲しいおかずを入れて、その量だけお金を払う方式です。
私はもちろん大好きなペリメニ(ロシア風餃子)、そして麺の入ったスープ、それとよその男の人が、ピロシキの中身を尋いていて、その答えに「ヤーブラカ」(リンゴ)という答えが聞えたので、リンゴのピロシキとはなんだろうと、注文してもらいました。
ピロシキは、アップルパイみたいなものを想像していたら、ただリンゴのパンで、少々がっかりしたけれど、ペリメニは昨夜の数倍美味しかった!
隣りに座った後閑さんから、ワレーニキ(ウクライナ版の餃子)をもらったけれど、これはちょっと堅くて、残してしまいました。
お腹いっぱいになっちゃったけれど、これからがんばらないといけない。
これからいく所が、真野さんや山上さんと約束?した所なのです。

ムームーを出て、お店の前にある牛の置き物と写真を撮る。
実はこの「ムームー」という言葉、ロシア語で牛の鳴き声なのです。正しくは「ムウー」かしら?
そしてまた15分ほど歩いて、しかし今度は、どれくらい歩くかを始めに知っていたので、さっきほど長いと感じませんでした。
最初に車を降りた場所にある「プラハ」という、今回の旅の中で一番、高級そうなレストランに入りました。
ムームーの前まで車でいきたくても、アルバート通りは歩行者天国なので、プラハ前で降りたのでした。
プラハで真野さんも待っていて、女5人で、6階だったかしら、へ上がり、母いわく「粒揃いのいい男」たちが出迎える中を着席。ここで、本物の「とりのミルク」を食べるのです。とりのミルク、つまりあり得ないものですよね? そのくらい美味しいというチョコレートがあるんですが、なんと山上さんたち「ロシアの声」というラジオ局のアナウンサー女性軍は、あれをまずいと言うのです。(正確には後閑さんは何も言ってない)それで「美味しいんですよー」とロシアの声へメールしたら、では本物を食べよう、ということになったのでした。
私は普通のとりのミルクしか知らなかったけれど、今はバナナ味とか、いろんなフレーバーがあるそうで、私はバナナ味、母は普通味にして、一個ずつ食べることにしました。
出てきたとりのミルクは、私の知っているチョコではなくって、豪華なケーキ。普通のとバナナのとを食べているうちに、味が混乱してきたけれど、普通のよりバナナ味が美味しいと思いました。ただ、砂糖の飾りつけは、いまいち美味しくなかったかな?
夜の10時過ぎ、静かな店内で、日本人5人、キャアキャア笑いあい、楽しい時間でした。
最後に真野さんからサクランボをもらい、これは、飲み物が不足していた母の、ちょうどいい水分になりました。私はサクランボは食べないの、真野さんごめんなさい。
私にはこっちがもっとうれしかった! 後閑さんから、ロシアの声のお年玉クイズで私があてることのできなかった、クリミアのお土産の鈴、その小さいのをいただきました。割れ物だというので、大事に持って帰り、今パソコンの横においてあります。鈴というか、ベルみたいな形です。
あのクイズの当選者は、新潟県内の人だったんだけれど、私とは面識もなにもない人で、まさかさわらせてくれとも言えず、はずれたことをとても残念に思っていたので、この鈴はすごくうれしかった。

11時20分頃、みんなとお別れして、真野さんたちがつかまえてくれた白タクに乗る。
昔は、日本人だけで白タクに乗ってはいけないと、ガイドにきつく言われたのに、今は時代が変わったんですね。400でいいのよ、それ以上払わなくていいのよと言われ、ホテルまで白タクに乗りました。値段交渉は、山上さんたちがやってくれました。
母といつものくだらない話をしていたら、運転手が「それは何語なの? なに? 日本語? 日本人、今モスクワに少なくなったよー」と話し出しました。
話し好きの人らしく、それから着くまで、ずうっといろんな話をしていたんだけど、これが驚くことに、オールロシア語なのに、半分くらいは分かったんです。聞きとりやすい発音だったのかな?

ホテルはベガホテル、旧名イズマイロボホテルです。
なんと13年前、私が初めてモスクワに来た時、ここに泊まったのですが。
すっかり奇麗になって、名前も、最寄り駅も変わりました。
朝ごはんの値段が400ルーブルだって。(1ドルで30ルーブル)
前はここで、朝ごはんだけ食べたら3ドルだったのに、変われば変わったものだ。
翌日の朝ごはんのお金を払い、レセプション代とか言われて、一人三ルーブル、二人で6ルーブル払って、自分の部屋へいきました。