ボルゴの旅 2日目

 
6月19日。
夕べ着いた時は、ボルゴグラードはなんて寒いんだろうと思った。
今朝6時に、母が窓を開けた時にも、寒くて驚きました。
しかし、7時半の無言電話で起こされた時には、信じられないほど部屋が暑くなっていました。
この無言電話、ボルゴグラードの二泊とも、頻繁にかかってきて、夜中の2時、3時、4時にかかってきた時点で、もうトサカにきて、フロントへ苦情の電話をしたら、私は知らないと言うんです。シャワーだけでシャワー室がないことよりも、トイレが流れないことよりも、この無言電話が辛く、ボルゴグラードへまたいこうとは、実はもう思いません。眠れないのはほんとうに辛いですね。

朝食のバイキングは、目玉焼き、玉子焼き、ハンバーグのようなもの、みんなとても薄味で、お醤油が欲しくなりました。

10時にホテルのロビーで、ドキドキしながら待っていると、ガイドのアンナさんが来ました。
若い女性で、ものすごく早い英語。
母も「何を言っているか分からない」と言います。
とりあえず私たちは両替をしたいと言ったら、ポストオフィスに連れていかれました。
モスクワでは前、円でも両替できたから、まずここで使う分だけ、ドルを両替することにしました。300ドルで、9,000ルーブル。
とにかくアンナさんの英語が早く、母は分からないし、私は英語はゆっくりでも分からないので「あの、私は英語は分からないから、ロシア語に替えてくれますか?」と頼んだら、ロシア語の...早いやつに替えてくれました。苦笑。

いったんホテルに戻るというので、戻って、ちょっと待っててねと言われて待っていると。アンナさんが、説明を始めました。
「チェテュビロー」(4人で)としきりに言うので、私たちと運転手が加わって4人なのかな? と思ったら、違うんです。
要訳すると、イタリア人の男性一人を、私たちと一緒に観光させちゃいたいんだけど、いい? 私はイタリア人には英語で、あなた方にはロシア語で説明するし、車も大きいから、いい? どうかしら?
断わる理由もないので、OKしました。
テレビのイタリア語会話、もっと勉強しておけばよかったな。
確かに、どこから呼んできたのか、ワゴン車と運転手と、中年とおぼしきイタリア人男性が現われて、アンナさんと私たちの市内観光は始まったのでした。
ところが「兄弟の墓」「母親の像」「パブロフの家」など、戦争にかかわる観光スポットを回っているうち、ふと気づきました。これはもしや、私の好きな所へはいけないな? 第一、イタリア人とお昼を食べるには、しはらいはどうすればいいんだ?
ボルゴグラード一番の、というか唯一の?観光スポット、母親の像は、岡の上にあるんだそうで(これは後で日本語で聞きました)車はどんどん、山のような道を上っていきます。あーん、私は市電に乗れるんだろうか? デパートや市場はみれるんだろうかと、だんだん不安になっていく。
ねえアンナさん、この彼は夕方まで一緒なの? と、たまりかねてロシア語で尋きました。
英語以外の言葉をしゃべれてよかった(汗)私は市電に乗りたいし、デパートもみたいんだけどと、少々ぐずってみました。母は「そんなこと朝のうちに言えばいいじゃないの」と怒ったけれど、朝あのイタリア人に会った時には、思いいたらなかったのです。

この母親の像、ロシア語ではママーイェフとかいうんだけれど、この像で、なんとイタリア人の彼が、行方不明になりました! 私たちは1時発の遊覧船に乗りたいのに、アンナさんは彼を探しにいったきり、帰ってきません。車の中で、日本語でブーブー文句を言っていたら、12時45分頃、アンナさんとイタリア人が戻ってきました。「ソーリー」と言われたけれど、案の定? 1時の船には間に合いませんでした。
1時の船の次は2時だという。じゃあその間、軽く食べようと思って、アンナさんに訴えたところ、あそこにバーがあるから、もうすぐ開くからと言うんです。バーといえば、パンかコーヒーだ。しかたない、開くのを待つとしよう。
ところが、1時半になってもバーは開きません!
お腹が空いた空いたと、繰り返しロシア語で言ってみたけれど、どうしようもなく。
やっとバーが開きました。
ところがなんと、このバーというのは、チョコレートとかポテトチップスを売る店だったのです。涙。しかたない、チップスの大きいのを二袋買いました。思いがけず、安いお昼になってしまった。
そのチップスを、船の上で食べました。
2時になり、船はゆるゆると動き出しました。
ロシア語を始めた時から、名前だけは聞いていたボルガ河です。
「ボルガの船歌」歌おうと思って用意してたのに、忘れちゃったな。
岸辺近くにいた時は、涼しい程度だったけれど、河の真ん中へ出ていったら、かなり寒くなりました。どのくらい寒いかと言うと、旅行に出かける前、私のバッグにはホッカイロが入っていたんだけど、6月にいくらなんでもこんなのは要らないだろうなあと思って抜いてきた、そのホッカイロが恋しくなるくらい寒かったです。
チップスを食べながら、アンナさんとかたことのロシア語で話し、3時に船の旅?は終わりました。
最後に河の水をさわりたくて、階段を下りていこうと思ったのですが、危なそうだとのこと。持っていたペットボトルの水を全部飲んで、アンナさんに渡し、これにくんできてと頼みました。飲まないから、さわるだけだからと頼んで、くんできてもらい、手にかけてもらいました。さっきのチップスの油を洗い流せました。水は思いの外冷たく、だけど満足しました。

港に戻ると、イタリア人もドライバーももういませんでした。
そこからトロリーバスに乗って、市電の所までいき、市電に四駅ほど乗りました。
やった。バスはほんとうに、パンタグラフのついたやつで、私はもしや初めてああいうのに乗りました。
市電は、たぶん「ピオネールスカヤ」という駅で乗って、四駅ほどいってまた戻り、そしてアクチャーブリスカヤという駅で降りました。電車の放送がはっきり聞えたから。
そのアクチャーブリスカヤ駅の近くに、カフェがあって、そこに着いたのが4時だったか4時半か、とにかくアンナさんとの約束は5時までだから、どうするのかなと思ったら、アンナさんは帰るという。私と母の、お昼兼夕食の注文をしてから、アンナさんは帰っていきました。
ペリメニは40分待つと言われたけれど、もう動きたくなかったので、待つことにする。
楽しみにしていたペリメニは、皮が厚くていまいちだったけれど、初めて食べた挽肉入りのブリンヌイがとても美味しく、また食べたいと思いました。
「ここからホテルまではすぐだから」アンナさんはそう教えてくれたけれど、どうも反対に歩いてしまったらしく、少し迷ってようやくホテルにたどり着きました。
夜、お腹は空かなかったけれど喉がかわいて、8時頃、ホテルのバーにジュースを飲みにいきました。ペットボトルで持って帰るものはなかったので、しかたない、母と二人、バーでリンゴジュースを飲んできました。