ウズベキスタンの旅、最終日

 
4月9日
朝4時にモーニングコールで起きて、5時に朝食を、部屋まで持ってきてくれることになっていました。
ところがホテルの人がどう勘違いしたか、コーヒーとオレンジジュース一つずつ持ってくるんです。
パン四つはまあいいとして、飲み物も両方欲しいと思ったら、後から持ってきてくれました。
でもやっぱり、両方は飲みきれなくて、水が入っていたペットボトルに入れて、持っていくことにしました。
空港の、液体チェックの所までは、喉をうるおしてくれるはずだ。

8時の飛行機なので6時に空港へいき、とにかく並びました。
もうすぐ私の番かなあと思ったら、どっと人がわりこんでくるの!
「並ばない」というところは、ロシア人もウズベク人も同じですね。
もう、飛行機に乗れないのかと思ったら、7時半頃「トウキョウ」という声が聞えて、間に合わなかったらいやだとあせり、前の人をどかして、やっとゲイトに着けました。

「地球の歩き方2004年版」によれば、「タシケントの空港の、一番日本行きのゲイトに近いお土産屋さんで、私の母は50ドルとられた。旅がよかっただけに悪い思い出だ」という文があったので、空港でお土産を買うのは止めようと思っていたけれど、そんな決心はしなくても、時間はなにもありませんでした。
で、ふと気づきました。
液体チェックがないんです!
今はアフリカの一部の国以外、どんな国でもあると聞いていたのに。
朝食のコーヒーとジュースは飲み終わってしまったけれど、その前にホテルの部屋においてあった水、その飲みかけを持って、機内に乗ることができました。

この4月9日の、帰りの飛行機をキャンセル待ちしたので、どんなにかこんでいるだろうと思ったら、いきほどではないけれどやはり空いていたので、母と分かれてゆっくり座りました。
驚いたのは、6日の朝ごはんの時に会った、日本人女性が一緒だったこと。
「ブハラで会いました?」と母が尋いたら「そうですよ」という応えでした。
もっと驚いたのは、彼女たちも私と同様、インターネットで探して、ファイブスタークラブのこの旅行をみつけたんだそうです。
私は食べ物が合わなくていやだったと話したら、彼女たちは「連絡のいき違いで、ドライバーが迎えに来なかったのがいやだった。日本の、ファイブスタークラブへ電話した電話代、返して欲しいわー」とのこと。やっぱり高くても、私はガイド付きにしてよかったかな?
ウズベキスタン空港のスチュワーデスさんは親切です。昨年たくさん乗った、コンチネンタル航空や、あるいは日本のスチュワーデスさんなら、こんなことはしてくれるかどうか分からない。
食事がくると、必ず私の手をとって、これがなになにだと説明してくれるのです。
私は別に開けられたけれど、パンまで開けてくれて。

こうして、日本時間で午後7時55分に、成田に着きました。
帰りも関空経由なのかと思ったら、帰りは成田経由関空行きなんですって。

スカイライナーで上野へいって、上野での私の常宿、きぬや旅館に泊まり。
お風呂で滑って転んで肋骨を骨折するという、小さなおまけを残して、旅は終わったのでした。

10日の朝は、そういうわけで肋骨こそ痛かったけれど、立ち上がってしまえば歩けたので、朝ごはんは旅館の隣りの和食屋さんで食べ、コーヒーが飲みたかったので、松坂屋の中のアンテノールで飲んで帰ってきました。
「あんたはウズベキスタンに何しにいったの。肝腎な所で寝てて」と母には言われたけれど、私は何も後悔していません。今年のお正月から、携帯を駆使?して、HISのハワイのツアーにも一度申し込んだんだけど、ハワイにいくと思っても、全然ワクワクしないことに、申し込んでから気づいた。それで、ハワイをキャンセルし、ウズベキスタンへいったのですが、家に帰ってテレビでシルクロードの番組をみる度「ハワイよりよかったよなあ」と思っています。
今度はいつ、どこへいけるかな? 完。