ウズベキスタンの旅、五日目

 
4月8日
ガイドいわく「ウエイターさんに尋いたら、彼女は朝ごはんを食べたというから、今日は大丈夫ですか?」
泊まり客が少なかったから、だれが朝食を食べたか分かったのでしょうか。
しかし、朝食のヨーグルトは美味しかった。
ガイドのお母さんが作ってくれた、味のないヨーグルトよりも、既製品の、イチゴやパインのヨーグルトが美味しく感じました。
私はこの頃、ヨーグルトなんて食べないのに、日本に帰っても思わず、イチゴのヨーグルトを買ってしまいました。

「午前は寝ていて、午後観光にいきましょうか? チェックアウトは12時だから」とガイドに言われても、私は実は、今日一番痛いのが腰だったんです。たくさんベッドで寝たから。だから午前中の、少しでも元気なうちに観光にいきたいと言って、9時に出発しました。

ここはサマルカンドだけれど、タシケント通という通りにある「スィヤー」という名前の市場にいきました。
ここでは、ピーナツに砂糖がかかったもの、こんなの新潟のデパートでも売ってるんだけど、花束のような入れ物に入っていて、ほんのちょっとで400円くらいします。ここでは、500グラムで1500スム、約150円ぐらいです。
市場でも味見したけれど、体調が悪いせいか美味しさが分からなかった。
日本に帰って食べたら、ものすごく美味しかったので、500じゃなくて1キロ買えばよかったねと母と話しています。
あと、母の好きなクルミ、これはピーナツよりずっと高くて、500グラムで4,000スムでした。
こちらのものはたいてい、日本より安いけれど、唯一「安くないな」と思ったのは卵でした。
1個15円。
日本でもそんな値段もあるけれど、運がいいと、もっと安く買えますよね。
それから人参。
日本では赤いのしかないけれど、こちらには赤いのと黄色いのがあるようです。
赤はサラダ用に、黄色は火を通す料理に使うそうですが、味は同じだそうです。
それと、テレビのイタリア語講座に出てきて「なんだろうなあ」と思っていたズッキーニ、グラタンに入っていたやつは食べたことがあったけれど、生のを初めてさわりました。
感じとして「堅い大きい茄子だな」と思いましたが、私が間違っているかも?

30分くらい歩いて、まだ1/5しか歩いていませんよと言われたけれど、そろそろ疲れてきたので、少し休んで、次はレギスタン広場へいきました。
シルクロードの真ん中の、ウズベキスタンの真ん中の、サマルカンドの真ん中の、レギスタン広場で写真を撮ったけれど、この写真は撮れていませんでした。
実はブハラの後半から、ガイドだけがうちのカメラを持って、予定表にある所の写真を撮り歩いてくれたんですが、その時、予備のフイルムを渡してありました。ところが入れ方が分からなかったそうで、通りがかりの日本人にフイルムを入れ替えてもらったら。うまく入っていなくて、写真がだめになったんです。古いフイルムだけは大丈夫だったので、ブハラの写真までしかありません。サマルカンドは、ま、思い出だけ。
このレギスタン広場に、お土産物屋さんがあって、私はTシャツを買いたかったので入ってみました。赤は持っていなかったので、赤いTシャツを13ドルで買いました。
ここで初めて、外国でよくみる、高級そうなお土産物を幾つかみました。
タプチャーを囲んで、4人のおじさんがお茶を飲んでメロンを食べている置き物、あれがガラスじゃなかったら一つ欲しかった。いかにも中央アジアらしいと思いました。
それから、どこに着ていくか分からない、派手なドレスも見せられました。
「家で着るんですよ」と言われてもねえ、家でこんなの着てもつまらないし、外へ着ていく所もないし。 

次は、というかウズベキスタン最後にいった所は、ガイドが卒業した「サマルカンド大学」でした。
庭に座って、学生たちの会話をぼけっと聞いてみました。
みんな何かしらの語学を勉強しているようです。
一番代表的なのは英語。

ここでウズベク人の豆知識を少しだけ。
まず、生まれて最初に覚えるのはウズベク語。
うちのガイドはタジク人だから、まずタジク語。
続いて小学校に入る頃からウズベク語。
10才11才になったら、自然にロシア語を覚えていくそうです。
そうか、タシケントの地下鉄で、赤ちゃんにロシア語で話しかけても意味なかったのね。 お母さんには分かったようだけれども。
だから、どんな人でも、最低、ウズベク語とロシア語はしゃべれるそうです。

11時頃になって、少し疲れたのでホテルに戻りました。
出発は4時だというので、午後また寝たいと思い、もう一度部屋をとってもらいました。40ドルでした。
前の部屋はシャワーしかなかったのに、今度の部屋は同じホテルでバスタブがありました。
でも、お風呂に入る元気まではなかったので、1時までごろごろして、1時からお昼。
ホテルのレストランで2時半頃までガイドとしゃべって、部屋に帰ってまた少し寝ました。

成田を含めて、今まで一度もホテルに冷蔵庫がなかったのに、このサマルカンドに来て初めて、部屋に冷蔵庫のあるホテルでした。
その冷蔵庫の中に、サクランボのジュースというのがあって、小さいパックで飲みやすそうだったし、1ドルで買ってきました。
実はこの頃から、もうスムがなかったの。
料替えしてもいいけど、もう明日帰るし。その、ホテルで買ったジュースを、サマルカンドの駅で飲んで、ごみ箱がないからその辺りにおこうとしたら、ウズベク人とおぼしきおばさんが飛んできて、言葉は分からないながらガンガン怒るのです。じゃあごみ箱はどこなのよと尋きたくても尋けず、仕方なく持って帰りました。
昨日より長く電車に乗ると聞いていたし、昨日でこりていたので、セーターとかコート、いろいろ暖かい衣類を用意しておいたのに、電車の中はかなりの暑さ。なんと、室温33度だって。その暑い列車の中を、いろいろ歩き、発車しても席がみつかりません。
昨日は指定席だったのに、今日の切符には「乗務員が座席を決めます」と書いてあるんだそうで。揺れる列車の中を歩いてもみつからないので、私と母はデッキに立ち、ガイドだけ席を探して、やっと個室の中に二席みつかりました。
昨日の電車は、一輛が一つのサロンでしたが、今日はどうやら個室なのです。
6人が向かい合って座る個室で、私と母以外はみな男性でした。
ガイドはここに席がないので、違う個室。
ロシア語で話せばいいからね、大丈夫だからねとガイドは去っていったけれど、確かにおじさんたちの話すのはロシア語には違いないんだけどー。分からないのよー。男の人の発音は聞きとれません。
唯一分かったのは「給料は幾ら?」と尋かれました。
私には給料はないのよ、年金なのよと言っても「じゃあその年金は幾ら?」しつこいやつだ。
「私たちはツアーに入っていて分からないんだけど、この電車の代金は幾ら?」と尋いたら「これが私たちの切符だ」と見せてくれたんだけど、日本円で1400円くらいでした。4時間列車に乗って、というか彼等はもっと前から乗っていたわけですから、安いなと思いました。
紅茶かコーヒーはいかがですかと言われ、暑くて喉がかわいたので紅茶をもらったら、300スム、母のコーヒーは500スムでした。あれ? 無料と思ったのに。汗。

というわけで、何もかもが昨日乗った電車と違うのですが、一つだけ同じことがありました。
それは、激しい横揺れ。
飲み物を飲むことも、点字でメモをとることもできません。
ただもう、座って到着を待つことにしました。

突然、電車が止まりました。
何のアナウンスもないけれど、タシケントに着いたのだそうです。
5日にお別れした運転手が待っていて、一緒に夕食のレストランへいったんだけど、ここはなんと、5日の昼に来た所。ここは食べるものがないからいやだって、遠回しに言ったのに、通じなかったのね。おまけに今日は夜だから、耳をつんざくような音楽と、その音楽に合わせての手拍子と踊り。昼間、頭が痛くて母から頭痛薬をもらって飲んで治ったのに、ここでまた頭痛が始まりました。
少し食欲が戻ってきただけに、この夕食が最低で、トイレにいったきり終わっても席に戻りませんでした。せめて、いやがっていることを、ガイドに気づいて欲しかったんだけど、なんとまだガイドは食事が終わらないというので、トイレの近くの椅子に座って待つことにしました。
こうして懐かしい?タシケントパレスホテルに帰り、お風呂に入って眠りました。