ペルーへいってみるー、六日目

 
4月19日
この日は一日を通して..具合が悪かったの。
だからいつもの、人に見せられないきたない点字のメモが全くないので、後からメモしたことや、薄れていく(汗)記憶の中から書きます。

まず夜中、いやな夢を見て目がさめました。
部屋が暑かったので、母に頼んで暖房を消してもらってまた寝た。
次に、またいやな夢を見て目がさめたら、ものすごい頭痛でした。
「高山病にはセデスが効く」と添乗員さんに言われていたので、新潟にいるうちに買っておいたセデスを飲んでみたところ、頭痛は嘘のように無くなったんですが。

朝になって、今度は下痢。
そして、ずっとじゃないんだけれど、時ゝさしこむように胃が痛い。
整腸剤を飲もうとしたら「食後の方がより効きます」と書かれていたので、仕方なく朝食のテーブルにつきました。
パインジュースと、あと私の好きな堅いソーセージがあったので、それを食べて、薬を飲みました。
今日は楽しみにしているチチカカ湖遊覧があるから、寝ているわけにいかないのです。

9時に出発、荷物をなるべく少なくして、スーツケースや貴重品でないものは、運転手とアシスタントの男の人に運んでもらい、私は両手を空かすためにリュックだけになりました。
とはいえ、船が寒いかもしれないとのことで、トレーナーやセーターを持ちましたから、リュックはそれなりに重くなってしまいましたが。
ホテルからチチカカ湖はすぐなんだけど、その前に階段をたくさん下りなきゃいけなくて、それがちょっと、不規則な階段でこわかった。
添乗員さんが、手をそえて一緒に下りてくれました。
モーターボートに乗りこみ、ウロス島へいきました。
ウロス島といっても、40くらいの島があって、例えば新婚さんが二人で住みたいと思ったら、別に島を作ったり、親戚どおし喧嘩して「もうーやだ」という時には島を切り放したりするので、ひょっとして41かもしれないし、39かもしれないそうです。
そのウロス島のうちの一つに、まずは上陸しました。
船から降りてみて、驚いた。地面がもう、芦なんですね。
だから足元が悪くて、ただでさへふらふらの私は、よろめきそうになってしまいました。
船乗りさんが手を貸してくれて、船から降りました。
芦でできた丸いこしかけに座って、ガイドのサラさんの英語の説明を聞きました。
その間にも、時々キュキュッと胃が痛くなって、時間が長く感じました。
このチチカカ湖、60%がペルー、40%がボリビアのものなんだそうですね。
一番深い所は、うーん、忘れたけれど、今ここの水深は、20メートルくらいだとか。
住んでいるお魚は、トラウチャーとかキングフィッシュ、そしてカラチという魚、あと二種類くらい、なんだったか魚が住んでいるそうです。
夏でも水温は17度くらいで、現在の水温は9度だそうです。
どんな風に芦で地面を作るかのデモンストレーションがあったり、ここの人がどんな生活をしているかの説明があったと思います。
この島の人たち、男の人は船をこいだり、それなりに重労働をするので、ひきしまった身体だそうだけれど、女の人は芦で民芸品を作って売ったり、ごはんを作ったり子どものお守りをする、座り仕事が多いので..ぼた餅みたいなスタイルになっちゃうそうです。
食べるものは、魚くらいならチチカカ湖にあるけれど、ないものも多いので、マーケットにいって、物々交換で、パンや日常生活に使うものを手に入れるそうです。
その、こちらの人が食べているパンというのを回され、私も一口食べてみました。
それからこの芦、船にも地面にも、燃料にも民芸品にもなり、なんと食べることもできるそうで、その食用の芦も回ってきました。
これはちょっと食べる勇気はなかったけれど、さわった感じ、長葱みたいです。

やがて自由時間になり、展望台に上る人、写真を撮る人といましたが、私はへたっていました(汗)
足元が不安定で、動く気になれなかったの。
10時35分に集合して、無料の船でいきたい人は添乗員さんと一緒にモーターボート、芦の船に乗りたい人は2ドル払って乗ることになりました。
私は、こんな体験もないだろうから、芦の船に乗ることにしましたが、これがまた酔うの!
30分くらい乗って、またもフラフラになりました。
ウロス島の、また別の島へ着きました。
ここでは幼稚園児が出迎えてくれて、なんだか聞いたことのある歌を歌ってくれました。
なんていう曲か分からないけれど、メロディーを字に表わすとしたら
「ドレミド ドレミド ミファソ ミファソ ソラソファミード ソラソファミード ドソド ドソド」
この歌、なんていう曲でしたっけ?
「みなさまなにか、手持ちのお菓子で、いらないものがあったら、子どもたちにあげて下さい」
という言葉に、うちのツアーのだれかが反応して、一人の子どもになにかあげたの。
そうしたら、年配の男の先生は「あとからみんなに配るから」とお菓子をとりあげようとし、子どもは「いやだ、僕がもらったんだから僕が食べる」と泣いちゃって、これがまた、日本人の子どもよりもかわいく感じました。
私も、食欲はまるでなかったし、バッグの中にどこかの飛行機でもらったクッキーがあったので、先生のさし出す帽子の中に入れてもらいました。
あとから「地球の歩き方」の本に載っていた文を思い出しました。
「こういう所には歯医者がない。こういう所の子どもにせがまれても、甘いものをあげてはいけません」
でもねえ、目の前にかわいいのがいると、あげたくなっちゃいますよね。
それにさっきの説明によれば、こちらの人は芦で歯も磨くそうだし。

やがてお昼近くなり、モーターボートに乗って陸地へ戻りました。
地面が芦じゃないので、やはり陸の方が歩きやすいですね。
船から降りてじきに、お昼のレストランに着きました。
お昼は、チューノという、ポテトの干したものが入ったスープは酸っぱくてまずかったし、食欲が全然なかったので、メインのアルパカのお肉は断わって、ポテトだけもらいました。
じゃが芋は高山病にいいと、高山病対策のメールに書いてあったから。
だけどあらまあ、こんなにいらないのよー。
ポテトだけくれと言ったら、お肉がない分いっぱい持ってきてくれました。
悪いけれど残してしまった。
同じテーブルで食べていた、うちのツアーの若い女の子が「アルパカのお肉美味しいですよ」と言うので、一口だけもらってみました。
豚の肩ロースみたいな味で、案外食べられると思いました。
もっと臭味があって、食べられないと思っていたので。
味は豚肉だけど、見かけは牛肉だそうです。
きっと、私たちに食べやすいように料理したのでしょう、脂身は全然ないそうです。
アルパカのぬいぐるみを買って、セーターを買って、アルパカ本人もさわり、お肉も食べて。アルパカを満喫したなと思いました。

バスに乗り、フリアカへ戻ります。
フリアカからリマへ、飛行機で戻るのです。
あとちょっとがんばらなければ。
私の知り合いがくれた、高山病対策のメールには、こんなことが書かれてあったのです。
「高山病対策としては、低地に下りるしかない。重症になって、自分だけ、リマへ空輸されると、かなりなお金がかかるので、このお金が出るような高い保険に入っておくことだ」
私はそんな保険に入っていません。
なんとか、自分だけの空輸を避けなければいけませんでした。
空港に着いても、普通ならお土産選びをしたいところだけれど、フリアカの空港もまだ標高3800メートル。少し動くだけで息切れがします。もう、じっと座っていよう。

おや? フォルクローレの演奏が始まりました。
すっかり心がすさんでいた私を、この演奏がちょっと和ませてくれました。
聞き慣れた「コンドルは飛んでいく」など、2、3曲の演奏の後、なんとCDを売りにきました。
8ドルだという。
ちょっと心を和ませてくれたし、コンドルは飛んでいくも入っているというので、買うことにしました。
でも、CDを聞いてみたけれど、生で聞いた演奏の方が10倍くらいよかったな。
飛行機が45分遅れたお陰で、私はお金を使い、彼等は儲かっちゃったわけですね。

フリアカで乗った飛行機は、いきなりリマへいくのではないんですね。
アレキパという所へ一度下りました。
私たちは、機内に座っていました。
アレキパといったら、ペルーの中で日本人が渡航自粛だったか渡航禁止の所。
治安が悪いのだろうなあ。
スペイン語でもフランス語でもない、もちろん英語でもない、なに語か分からない言葉をしゃべるおばちゃんが乗ってきました。
また飛行機は飛び立って、軽い食事が出て、6時半頃リマに着きました。

さてここから、バスに5時間乗って、イカへいかなければいけません。
ナンシーさんというアシスタントの女の子と、運転手が私たちを待っていました。
このナンシーさん、ガイドではないんだそうで、いわば通訳だそうです。
夕食の時間を節約するために、バスの中でお弁当が配られました。
懐かしい俵型のおにぎり、太巻き二個、コロッケに魚の唐揚げ、玉子焼き、そして一口だけうどん。
懐かしくて、みんな美味しかった。
低地に下りてきたせいか、食欲だけは戻ってきました。
お腹の痛みは、ヒューストンへ戻ってもまだ続いていましたが。
なるべく早くイカへ着きたいんだそうで、トイレ休憩は5時間で一度だけ。
その休憩の場所は、コンビニ兼ガソリンスタンドでした。
トイレチップが要らない代わりに、なにか買って下さいとのこと。
チップよりこの方が、よほどいいいですね。
外国のコンビニって私は大好きなので、早速入ってみました。
ああ日本と同じだなと思ったのは、夜9時頃だったせいか、近づきたくない若者たちが、入口にたむろしていたこと。
話しかけられたくないので、なるべくさっと中へ入りました。
そして、バスの中でも食べ終わりそうな、小さなアイスクリームを探して買いました。
といっても、みんな日本より大きいアイスばかりなんだけど。
ちょっと食べ過ぎたのか、バスに酔ってしまい、眠れれば楽かと思ったけれどそれもできず、クタクタに疲れて11時半頃、今晩の宿、ボッソネホテルに着きました。
ここはロの字型になったホテルで、真ん中が中庭。
平家のホテルなので、スーツケースはみなさんで運んで下さいとのことだったけれど、この時にはもう私も母もへたばっていたせいか、うちのスーツケースだけ、ポーターさんが持ってきてくれました。

部屋に入ったら暑い。
プーノのホテルみたいに暖房が入っているのかと思ったら、そうではなくて、ここの自然の温度がこれなのね。
そう、このイカという町は砂漠にあるのです。
冷房をつけたら寒いし、冷房に強とか弱のスイッチはなし、消したら暑いので、今晩はパジャマを脱いで寝ることにしました。