ペルーへいってみるー、四日目

 
4月17日
4時に起きて朝食の後、5時半に出発。
今日は、楽しみにしている高原列車に乗ります。
「列車の中は暖房も冷房もないので、暖かくしてきて下さい。この間なんか、座席が凍っているかと思った」という添乗員さんの言葉に従い、セーターの上に薄でのコートを着て、ズボンを2枚はきました。それで、全然暑くはありません。
6時発の列車に間に合うよう、バスで駅へ向かいました。

クスコからマチュピチュへ向かう電車は、全部で4種類あるそうです。
一番高い料金のやつは、片道だか往復だか知らないけれど500ドルで、電車内にダンスホールがあるんだそうです。
でも、揺れる電車の中で、踊りたいかなあ?
二番目に高い電車は「バックパッカー」という名前のもの、三番目に高い電車に私は乗りました。
そして、地元の人が乗るのが、一番安い列車だそうです。
だけど私の乗った電車にも、地元の人なのかなんなのか、外国人は乗っていました。
スイッチバックの電車は、日本では自動できりかわるんだそうだけれど、こちらでは乗務員が降りて、手動できりかえるので、とっても遅いとのこと。でも、気持ちよくって分からなかった。
高原列車っていうのは、ずっと山を登っていくのだと思っていたんですが、そうでもないんですね。
まずクスコから幾らか上っていって、標高3500メートルくらいの所へきたら、今度はドンドン下りるんだって。
終点のマチュピチュの標高は、2400メートルなんですね。

最初の駅、ポロイ駅を過ぎたあたりで、サンドイッチとエクレアが配られました。
サンドイッチは食べきれなかったけれど、エクレアは美味しかった。
そして、コーヒーかコカ茶を車掌さんが発泡スチロールのコップについでくれます。
次の駅、オリャンタイタンボでは、5分くらい停車します。
この時、たくさんの物売りがきて、窓外から呼びかけてきます。
リュックとか鞄、その他いろいろ。
その中に、とうもろこしを売っている人がいました。
実は昨日もバスのすぐそばまでとうもろこしを売りにきて、ものすごくいいにおいだったの。
でも、高地にきたらあまり食べちゃいけないと言われていたので、昨日は我慢したの。
今日、このオリャンタイタンボは標高2800メートル。食べてもいいよね?
ガイドの長岡さんを呼び、どうやってあれを買うのと尋くと、窓をガラリと開けて、大きな声で「チョッコロチョッコロ」と叫びます。
どうやら「チョッコロ」というのが、このとうもろこしの種類なんですね。
一本2ソルで買えます。1ドルが3ソルなので、日本円に直せば80円でしょうか。
こちらの人はチーズと一緒にとうもろこしを食べるのだそうで、三角に切ったチーズと、日本のよりやや小ぶりのとうもろこしを一本、とうもろこしの皮の一枚をお皿代わりに、私の手に乗せられました。
熱い! そして美味しい! 塩をもう一ふりしたかったけれど、ちょっと日本のより大粒の実のチョッコロは、ペルーで食べたもので一番美味しく感じました。
ただチーズは、日本でいつも食べるものと違う、ちょっと臭味のあるチーズで、これは食べられませんでした。

列車に乗ること3時間、終点のマチュピチュに着きます。
ここから今度は、シャトルバスの停留所まで3分ほど歩きます。
おや、ハーハーしない。
やっぱり標高の低い所へきたんだなと、身をもって感じました。
この頃にはだいぶ暑くなっていて、コートもセーターも脱いで歩きました。

バスに25分くらい乗るんだけれど、これが日光のいろは坂のような、新潟でいえば弥彦スカイラインのような道を走るので、母は酔ったと言っていました。
私は、いろは坂でも弥彦スカイラインでもめちゃくちゃ酔ったことがあるので、心配していましたが、なんともありませんでした。

10時半頃、あの有名なマチュピチュ遺跡の入口へ着きました。
みんなは当然、上へ上るんだけど、私は最初から、この先へいく気がありません。
ここで待つことにしました。
上に上って説明を聞いて、下ってくるから、1時半に待ち合わせねということで、みんな出かけていきました。
カフェのべんちに座ったので、なにか注文しないと悪いかしら、注文は? と尋かれたらなにかとろうかなと思っていたんですが、ここのカフェ、ものすごく商売繁盛していて、店員さんが忙しいあまり、なにも注文しない私に気づかないのか気づいてもかまってられないのか、とうとう最後までなにも注文しませんでした。持っていた水を飲んだり、回りの人が食べるにおいにつられて、持っていたお菓子を食べたり。
私の髪をいつも切ってくれる美容師さんが「マチュピチュの写真を撮ってきて」と言っていたけれど、私は上までいかないわけだから、絵葉書を買ったりしました。3枚で1ドルでした。

トイレはここは有料で、1回50センチーモ。100センチーモで1ソルです。
トイレにいって「ドース」(二人です)と言ってお金をおくと、新聞紙のようなものを切って、チケットみたいにしてくれます。
細かいお金があまりなかったので、3時間いてトイレは2回にしました(汗)

あれ? なになに? 音楽が始まりました。
コーヒールンバとか、コンドルは飛んでいくの演奏です。
昨夜のクスコの演奏と比べて、うまいかどうかはともかく、私にはこちらの演奏の方が感動的でした。
「ウエルカム テュー マチュピチュー」などと挨拶もあって、3、4曲の演奏の後、チップをもらいに来ましたが、私はうつむいていました(汗)
向かいに座ったご夫婦は、払っていました。

そのフォルクローレの演奏の後、ふと向かいの席の夫婦がロシア語をしゃべっていることに、母が気づきました。
「ロシア人ですか?」と母が話しかけると、そうだと言う。
急にうれしくなって、どちらからいらっしゃったんですか? とロシア語で話しかけてしまいました。私が外国で、ロシア人に会うと、いつもこの質問だ。
自分たちはアメリカからきたのだ、とのことでした。
「ペルーにきて初めてロシア語を耳にしたわ」
と私が言うと「いやー、僕等もだよ、驚いた」とのこと。
このご夫婦の旦那さんが言うには、ペルーにも実はロシア人はたくさん住んでいる、そうした人たちが、インターネットにいろいろペルーのことを書いているのだそうですね。

遺跡というロシア語の単語を知らなかったので、ただ「上らないの?」と尋いてみると、これからいくとのこと。どうやら、気持ちは通じたようです。
実は先ほどから雨が降っている。雨が降って寒くなったので、このご夫婦、どうやら雨が止むのを待っていたんですね。
カフェで軽い食事をとり、それから上へ上がっていきました。
じゃあね、ダスビダーニャと言って、握手していきました。

いったん暑かったマチュピチュも、雨が降ると急に温度が下がります。
またコートを着て、帽子もかぶることにしました。
手も冷たいなあ、まさか手袋までは要らないだろうと、クスコのホテルにおいてきちゃった。それくらい寒くなりました。

1時15分頃、みんなが戻ってきました。
「3時間も退屈じゃなかった?」と言われても、それがちっとも退屈じゃなかったの。
ロシア語もしゃべれたし、音楽も聞けたんだよと、うちのツアーの人に話しました。

帰りのバスはもう眠くて眠くて、着いたよと母に起されるまで寝ていました。
バスを降りると、ちょうどそこがお昼のレストランでした。
お昼はビュッフェだったので、スパゲティーと、あとじゃが芋のおまんじゅうみたいなものを食べました。
どこの国へいっても、日本よりじゃが芋が美味しい。
あと他にピザもあったけれど、このチーズがまたも、臭味のあるチーズだったので、焼きたてのピザをもらってはみたものの、私の周りの人はみんな残していました。

そこから駅へいく3、4分だけ、ちょっと雨に濡れて、3時半の電車に乗りました。
電車に一度乗ったら、もう着くまで降りられません。
朝は暗かったので、今度こそ写真を撮らなくちゃと、乗る前に母のカメラと、そして私の携帯、両方で電車の写真を撮りました。もうこんなの、一生乗れないかもしれないから。
帰りの電車でも、いきと同じように軽食が出ます。
今度は、クッキーとケーキだったかな?
その軽食の後、アルパカのファッションショーがありました。
ん? モデルのわりには太っている、と思ったら、さっきまで食事とコーヒーを配っていた男の車掌さんと、ウエイトレスの女の子がしなを作っています。なんだか笑っちゃった。
セーターやらケープやら、いろんなアルパカ製品を身につけては、また着替えて歩いていくモデル。そしてその後、そのアルパカ製品を売りにきたんだけれど、値段が全く分からないので、声をかけられませんでした。幾らくらいだったんだろうなあ。
そのファッションショーの間、派手な音楽も流れていて、とてもにぎやかだったのに、隣席のうちのツアーの新婚さんは、ずうっと寝ていました。よく寝れるなあ、こんなにうるさくて。

終点のクスコ駅までいくと、スイッチバックで電車がとても遅いので、一つ手前のポロイ駅で、私たちは降りました。
ここからバスでホテルへいけば、20分なんだけど、電車でいくと1時間なんだって。

ホテルで部屋の鍵をもらおうとする度、部屋番号をスペイン語で発音してみるんだけど「上手ねえー」と言われることもあるのに...全く通じないこともあって、いったい私の発音はうまいのかなんなのか分からない(笑)
部屋に入って、ちょっと休憩してから夕食。
この日はホテルで食べました。
まず最初は、そうめんのようなものが入ったスープ。
次は、キングフィッシュといったかな? 鰯の仲間だというけれど、味は鮭。
とにかく、チチカカ湖出身の魚のムニエルでした。とても美味しかった。
最後はプリン、量が多かったけれどみんな食べちゃった。
この夕食までで、二日間おせわになった長岡さんとお別れです。こんな高地に日本人が住んで、いったい、苦しかったことはないのかとか、いろいろ伺いたかったけれど、うちのツアーは添乗員を除いても28人です。ゆっくり長岡さんと話す時間もありませんでした。
高地ではお風呂にゆっくりつかってはいけません。だけど汗はかくので、簡単に身体を洗って、11時前に眠りました。