ペルーへいってみるー、三日目

 
4月16日
朝5時半に起床で、6時から朝食。7時に出発して、空港へ向かいました。
これからいく所について、カルロスさんからいろいろ注意を受ける。
リマの標高は157メートルなんだけれど、これからいくクスコは3360メートル、明後日にいくプーノは3900メートルなのです。
高山病は「意識して気にしないこと」そんなことできるわけないだろうと思う(汗)
走らない、酒とたばこは控える、生物は食べない、どうしても具合が悪ければお医者さんにかかる、などなど。
酒と煙草はなくても平気だけど、あーん、だんだん不安になってきた。

空港に着いて、しばしの自由時間の時、民族音楽のCDが14ドル95というのをみつけて、そうだ、私がペルーに来たのはこのためだったと思い出し(笑)衝動的に一枚買う。
「もう1枚買ってくれたら、1枚おまけするんだけど」としつこく言われても、1枚でいいからとがんばりました。

9時半頃の飛行機で、クスコへいきました。
この時また食事が出たんだけど、ハムサンドもケーキも美味しくて、ついついみんな食べてしまった。高い所へいったら、食事は腹六分目にしなきゃいけないのに。
飛行機を降りてからは、なるべくゆっくり歩いてバスに乗り、一度ホテルにいきました。
今晩と明晩は、サボイホテルが私たちの宿です。

ホテルの入口で「おねえさん、CD5ドル」と物売りに声をかけられる。
悔しい、今頃遅いよー。
このホテルの入口では、毎回、いろんな物売りに声をかけられ、一度だけ話に乗って、10ドルのアルパカのセーターを買いました。これは安過ぎるので、きっとアクリルも入っているんでしょうけれど、とても気にいっています。
ホテルのウエルカムドリンクとして、コカ茶を出されました。
これは日本で絶対飲めないものです、魔薬ですから。
ちょっと飲んでみて、なんともまずかったので、以後私は飲まず、ただ携帯でコカ茶の色の写真だけ撮りました。

12時半に集合して、お昼の会場へ。
クスコのガイドの長岡さんの解説によると、今日のお昼のメインはチキンのキングチャ焼き。
要するに、チキンナゲットの味です。
これがまた美味しくて、またまたしっかり食べてしまいました。
そのお昼の会場から歩いて、アルマス広場へいきました。
この辺りから、歩くとハーハーして、なかなか歩けない。
やっとみんなにはぐれないよう、広場へ到着。
走っちゃいけないと言われても、みんな歩くのが早い早い。
ここは涙の広場と言われている所で、昔スペイン人が侵略にきたおり、クスコの偉い人が、この広場で殺された所なのです。
それを、わざわざ市民に公開して殺したので、ここは涙の広場と呼ばれているのだとか。

次もまた歩いて、サントドミンゴ修道院へ。
ここには、最後の晩餐の絵があります。
但し、ここにある絵は、キリストと弟子たちが、なぜか南米料理であるクイの肉を晩餐にしている、そういう絵だそうです。
だれが描いたかの説明を聞く元気もなく、私は椅子に座りこんでしまいました。
苦しい、もうだめ(フー)みんなは修道院見学にいきました。

その私が座っていた椅子は、実は救護室のそばにありました。
なので「酸素を吸いたいですか?」と声をかけられたけれど、そこまで必要かどうかよく分からないので、いえいえ、座っていれば大丈夫ですとひとまずお断わりする。
そこへ、一人の女の人がやってきて。まるで水でもまくような音で、いきなり吐いた!
救護室へ入っていったその人は、やがて出てきました。
あの人も高山病だったんだろうか?

次はサクサイワマン遺跡と、タンボマチャイ遺跡。
私はどちらもいかないで、トイレだけいきました。

6時15分頃ホテルに着いて、8時にまた集合。
フォルクローレの音楽を聞きにいくのです。その音楽を聞きながらの夕食は、またまたセビーチェと、アルパカのお肉とクイのお肉。
クイというのは、ペルーの人にとってはご馳走なんだけど、私はどうーも、鼠と聞いて食べる気がなく。スープとデザートのコーヒーケーキだけ、美味しくいただきました。

フォルクローレは、最初踊りこさんが踊るやつが30分ほどあって、次に、日本にも公演にきたことがあるという、アルコイリスというグループ、スペイン語で「虹」という意味のグループ名、そのグループのコンサートが30分ほどありました。
演奏の後、CDを売りにきて、そのCDは15ドルでした。
うちのツアーの人の一人が買ったんだけど「サインしましょうか?」とそのグループの人に言われたのに、断わっていました。もらっとけばいいのに。有名な人らしいのに、こちらにその知識がないもので、緊張もなにもしませんでした。

夜中、食べ物が上がってくるような、食べ過ぎた時のような感じがして、なかなか眠れなかったけれど、これが高山病の最初なのか、それとも単に食べ過ぎか、よく分かりませんでした。