バリッとインドネシア 四日目と最終日

 
朝食の話をする時は、いつも食べ物のことばかり書いていたけれど、実は毎朝のレストランで、そしてスーパーで、町中で、しょっちゅう聞えているものがあるんです。こちらの音楽ガムラン。当然テープかと思いきや、他の所はどうか分かりませんが、なんと私の泊まっているこのホテルは、生で演奏しているとのこと。しまいに耳にたこができそうで、ちょっとうんざりしたのですが、今朝はバリ最後の朝食。ちょびっと録音してみました。あの変化の少ないメロディーが、家に帰ってからも頭から離れなくて困った(笑)

今日は一日フリーです。こういう時、いつもの私なら「外国の公共の交通機関に、なんでもいいから乗りたい」と騒ぐところですが、バリには実は路線バスも電車もありません。あるのはバイクと車と、そしてタクシー。
それで、これも前からやってみたかったこと、ホテルのプールに入ってみることにしました。
なにか時間の制限があるのかと思ったら、特にないみたいなので、朝食後少し休んでから、早速いってみました。

プールは屋外だというので、コンクリートがたぶん熱いだろうから、部屋のスリッパをはいていってみました。
水深は150センチとのことで、ぼんやりしていると顔ももぐるので、つまさき立ちで歩き、壁をつたって泳いでいました。
台湾からきたという人が、たどたどしい日本語で「泳ぎはどこかで習ったですか」と尋いてきます。 盲学校で習いましたと応えたけれど、きっと私の泳ぎがあまりに下手だったから尋かれたんだろうなあ。
日本にいるのよりもっと小さい、鳩みたいな鳥がプールの水を飲んでいたそうです。
私も泳ぎながら、わざとじゃないけど少し水を飲んでしまったけれど、鳩と共用の(^_^)水を飲んで大丈夫かなあと思ったけれど、お腹は今回はなんともありませんでした。

疲れたら水から上がって、日陰のテーブルに座ります。
テーブルはしかしプールの中にあって、足は水の中。
そして、そのテーブルの横ではバーが営業されていて、飲み物だのピザだのが頼めます。
私はなにも頼まず、ただ休んで、また水に入りました。
また水に入って、いぬかきで泳いでいたら、なんだかロシア語が聞えました。
こういう時って、勇気百倍になりますね。
いつもはロシア人をみても、話しかけることはなかなかできないのに、水音が近づいてきたところで「こんにちはー」と大きな声で言えました。
「どちらからいらっしゃったんですか?」と尋くと「ロシア」と応えるんです。
ロシアのどこですか? というロシア語を知らなかったけれど、適当に言ってみたら、カザンから来たと分かりました。それを聞いた時にはカザフスタンと混同していたんですが、違いましたね。カザンからバリは、飛行機で16時間だそうです。ここから後がよく聞きとれなかったんだけれど、なんでも前にシンガポールに住んでいて、その関係でバリへ遊びにくる、というようなことを言っていたかもしれません。
カザンは寒い所なのよという話をするので、私が知っている数少ないロシア民謡「オーマロースマロース」(なんて寒いんだろう)を歌い、うまいとおせじを言われ、短いけれど楽しい会話でした。
バリで一番よく聞える外国語は、なんといっても中国語です。台湾からの観光客が多いらしいのです。次が英語。ロシア語を初めて聞けて、なんだかうれしかった。

1時間ほど泳いで、11時前に上がって部屋に戻り、お風呂に入りました。
そうしたらお腹が空いちゃって、早いけどお昼を食べることにしました。
部屋にポットがあったので、お湯のわかし方をボーイさんに尋いて(コンセントのさしこみ口がみつからなかった)お湯をわかし、作ってみたけれど、三つのカップヌードルのうち二つが辛かったんです。辛くないのは、ミニサイズの一つだけ。この一つでは足りないし、 母だって「こんなに食べられない」と言うので、辛いカップ麺も、麺だけもらって食べました。一番最後に開けたコーンのカップヌードルが一番辛く、これは麺ももらえませんでした。

こうして三つのカップヌードルを二人で食べ、ちょっと寝て、3時頃、お楽しみのダンキンドーナツを開けてみました。
袋を開けてみて少しげんなり。ひしと抱き合う五つのドーナツ。
日本みたいに、ドーナツとドーナツの境いに紙をはさむという考えはないみたいで、もう五つともひっついているのです。
手をベトベトにしながら食べたけれど、ものすごく甘いのとすごく甘いのばかりで、ちょうどよい甘さのは一つもありません。どうやら日本にあるのは、もっと違う味のものではないかと想像しています。友達の彼女が、こんなに甘いのを「好きだ」というわけがないと思うから。
そういえば一昨日の夕食にも、なんだか分からないけれどふるえそうに甘いデザートがありました。白玉団子みたいな歯ごたえのものは美味しかったけれど、そのお団子も、甘い汁につかっていたのを思い出した。バリの人は、甘いものが好きなのかなあ?  

ガイドが迎えにくるのは7時だけれど、チェックアウトは夕方6時の約束なので、6時少し前に部屋を出ました。電話を使ったのでそのお金を払ったり、さっきみつけておいた絵葉書を買って、7時までの時間をつぶそうと思っていたんです。
ところが電話代を払い終えた頃、知らない男の人が声をかけてきます。
またいやな予感、なに? この人。

「コンパルさんは今日は来れません。私が今日のガイドです」
コンパルさんよりずっと年上の、男のガイドです。
絵葉書を買う間だけ待ってもらって、ガイドもドライバーももう来ていることだし、6時15分に出発することになりました。

あの、もう一つだけいきたい所があるんです、サークルケイを覗きたいんですと頼んでみました。
いつものガイドじゃないので頼み難かったけれど、時間が早かったせいか、あっさり了解してもらえて、サークルケイに連れていってもらえました。
これは新潟にもあるけれど、バリではどんなものが売られているかみたかったので。
新潟のサークルケイとは違い、おにぎりはどこにもありません。ガムとか飲み物、雑誌、あとポストカードです。さっきホテルで、私が泊まったまさにそのホテルの映った葉書を買ったので、絵葉書はもういりません。といって、せっかく連れてきてもらったのに、何か買わなければいけない気がして、ジュースを一本買って店を出ました。

「スーパーマーケットはもういいですか?」とガイド。
コンパルさんから、私がどこへいきたがるか連絡済みなのだろうか?
いえスーパーはもういいですと言って、夕食の会場へ連れていってもらいました。
ここは「プラザバリ」という、免税店とレストランが一つになったお店です。
夕食は焼きそばがいいですと言い、ガイドが頼んでくれて、出てきたのはまさしく、私の大好きなあんかけ焼きそばでした。バリにきて、まさかあんかけ焼きそばを食べられると思ってなかったんで感激。あっという間に食 べちゃいました。

さて、バリのガイドさんは、私たちと一緒に食事をとろうとしません。しかしコンパルさんは、食事が終わりそうになると、ちゃんと戻ってきてくれました。
今日の人は食事が終わっても、お茶を飲み終わってもきません。
どこへいったんだろう?
ガイドがいないとなんだか心細くなって、ロビーにいってみてもいないし、呼び出しをかけてもらうことにしました。
結局、放送を流す直前にガイドはみつかったんだけど、コンパルさんのすごさを今頃知りました。
「食事は美味しかったですか?」と尋かれ、実は足りなかったんです、 お代わりしていいですかと言い、私が払うのであればお代わりしていいとのこと。 もう一度食堂に戻って、ミゴレンを頼んでもらいました。3万ルピアで、うちはもう26000ルピアしかなかったので、1ドルと26000ルピアを払い、4000ルピアのおつりをもらいました。
2杯目の焼きそばはさすがに多くて、残してしまったけれど、でもお腹いっぱい大好きなものを食べられて、満足でした。
ほんとうなら免税店で買い物もして欲しいんでしょうけど、もう私には買い物はないし、お茶がただなので(笑)食べ終わった後ずっと、母と話しながらお茶を飲んでいました。今度はガイドから「9時にロビーで」って言われていたし。

9時に出発して、15分ほどで空港に着きました。
デンパサール空港でガイドとお 別れする時に「コンパルさんによろしく伝えて下さいね」と言っても、返事をしてもらえなかった。
「明日私の名刺をあげますから、バリに来そうなお友達があったら伝えて下さいね」
コンパルさんはそう言っていた。なのに実際にもらったのは、この年配ガイドの名刺。こんなものだれが伝えるかと、捨ててきてしまいました。私はもうバリに来る気は、実はあまりないので、それだけにコンパルさんにちゃんと挨拶しておきたかったと、それだけが悔まれました。

日航のカウンターにいくと「一つお知らせがあります。東京は今夜から明日にかけて雪で、飛行機が下りられない場合は大阪へいきます」
こんなに暑い時に「雪」と言われて、急に現実に引き戻された感じ。それに、もう東京から新潟の新幹線の切符を買ってあるし、どうしよう。
しかしこの心配は結局無駄に終わり、3月4日の朝7時半、飛行機は無事に成田へ下りられたのでした。

デンパサール空港には「福太郎」という日本料理店の出店があって、ラーメンが6万ルピアだったので、さっき3万ルピアで食べてきてよかったなと思った、とか、帰りの飛行機の食事はおかゆが出てなんだかほっとしたとか、上野駅では、店員さんのあいそは悪くてもめちゃくちゃ美味しいさぬきうどんを食べたとか、帰りの新幹線ではアイスクリームも食べたとか、そういう話はもう、割愛しなきゃと思いつつ、やっぱり書いてしまうのでした(笑)

バリでやりたかったことは、ほとんど全部やったので、何の後悔もないけれど、もし今度いけることがあったら、母が「こわいからいやだ」と言ったカヤックに、ちょっとでいいから乗ってみたいです。
そして、私にできるお礼はこのくらいしかないので、もう一度書かせて下さい。
「バリにいくならガイドはコンパルさんですよ」
今年の6月で28才になるという、男の人です。
背はちょっと小柄で、パラダイスバリと いう旅行社がコンパルさんの務め先です。
日本語はまあ、うまいとはいえないけれど、 ガイドの良し悪しは日本語のうまさではないと、つくづく思います。

家に帰った日、お風呂に入ったら背中が痛いのでみてもらったら、なんと日にやけていました。
何年ぶりかで、背中の皮がむけて、ああ初めて外国で日にやけたなあって、ちょっと幸せでした。
さて、今度はどこへいけるかな?