コーカサスの旅 後編

 
旅行記その7 モスクワにて

バクーから飛行機で3時間、モスクワへやってきました。
日本との時差は夏は5時間。コーカサスの時より1時間、時計を遅らせます。
モスクワで泊まったホテルはコスモス、秋桜じゃなくって宇宙の意味です。
ここには初めて泊まるけれども、よかった、私のきらいなロシアホテルじゃないわと喜んでいました。ところが、こんなことならロシアホテルの方がよっぽどよかった。それほど、市内から遠いのです。
ホテルに着いてすぐ、英語ガイドのカチヤさんを通して、外への電話のかけかたを聞いてもらったところ、部屋からはかけられないといいます。17階の私の部屋から、2階のサービスセンターへ電話を頼みにいくのは、ものすごく面倒でした。結局5月30日、モスクワへ着いた夜は、日本人の知り合い、日向寺さんと連絡がとれずに眠りました。

翌5月31日は、日本にいるうちから頼んでいた日本語ガイド、ミハイルさんがやってきました。
こんな所でお金のことを書くのは申し訳ないけれども、ちょっと書かせてね。
前回、2年前にモスクワへ来た時は、違う旅行社を通じてガイドを頼んだら、車とセットで18,000円でした。ところが今回は、18,000円は同じだけど車は別料金だ、1時間10ドルだというので、迷わず(笑)車は断わりました。ロシア人と一緒でなければ、モスクワの町はうまく動けないから、今後もガイドは雇うつもりだけれども、少し下手でもいいから、もっと安い方がいいなあ。

さてどこにいきたいですかと言われて、昨夜とは違う番号へ電話してもらったけれども、やはり日向寺さんはみつからず、なのでホテルから見える、遊園地へいってみました。見えるというだけで、歩くと10分くらいかかったんだけれども。でも月曜の午前中で、よい子は学校にいっている時なので、遊園地は休みでした。日本の遊園地なら、そんなことはないのにね。
地下鉄でゴーリキー公園の遊園地もいってみたけれど、ここも午後からとのこと。でも4年ぶりに地下鉄に乗れて、あのロシア語アナウンスが聞けて、満足でした。
ゴーリキー公園で、もう一度電話してもらって、今度は日向寺さんがみつかりました。
12時45分にボイスオブロシア、日向寺さんのいる放送局ですが、そこへいらして下さいとのことで、1時間ちょっとあるので、お昼を食べることにしました。
お昼はどうしても、ある一つのものが食べたかった。
それはロシアの水餃子、ペリメニです。
どう考えても、ペリメニ以上に好きな食べ物は私にはないかもしれない。
あ、あんかけ焼きそばも好きだけど。
それくらい大好きな食べ物なのですが、いざこれをロシアで食べようとすると、予想外に大変です。
あまりにみんなが家庭で食べているので、これを食べさせるお店がないのだとか。
日本でいえば、お茶漬けをお店で食べたい、ということなのでしょうか?
それでもミハイルさんが友達に電話をかけてくれて、ゴーリキー公園の近くにお店があると分かり、そこへ白タクでいこうといいます。
私は前にロシア人の男性ガイドから「タクシーは絶対乗っちゃいけない。ロシア人の男性とでも危ないことがある!」と聞かされていたので、歩きますよーと抵抗してみたのですが、歩いたら40分だというので、仕方なく白タクに身を委ることにしました。
普通のタクシーより安く、70ルーブルくらいでペリメンヌイという、そのペリメニのお店へ着きました。(1ドルは29ルーブルほど)
サワークリームのかかったペリメニを美味しくいただき、ちょっと甘めだけど、疲れぎみの身体にこれまた美味しい紅茶を飲みました。
ミハイルさんは「ペリメニはいつも食べてるから、あまり好きじゃない」と、ビールを飲んでました。それでも、3人で食べて120ルーブルくらいでした。
パンやスープは要らないんですかと、ミハイルさんには不思議がられたけれども、そんなものはいつでも食べられる。私のお腹は、今日くらいはペリメニのために使いたいと思いました(笑)
食べ終わってもまだ、日向寺さんに会うには時間があるし、紅茶をもう一杯飲み(8ルーブル)ジュースもあるというので、パインジュースを飲んだら10ルーブルでした。
12時半だからそろそろいきましょうと言っても、ミハイルさんは「向こうで待つのはいやだから」と動こうとしません。
そうしてやっと立ち上がり、放送局へいきました。
放送局には私と母しか入れないので、ミハイルさんはそこで待っててねと言ったら、「え、次のナージャさんの家へいく時間じゃないですか」と言う。のんびりなのかせっかちなのか分かんない人だ。ナージャさんちにはさっき電話したから大丈夫、とにかく待っててねと放送局へ入りました。

放送局では日向寺さんの他、お声だけ聞いて初めてお会いする山上さん、千原さん、高田さんにお会いし、奥野さん、岡田さん、そしてレービン課長には、しばらくぶりでお会いしました。
安藤さんや平谷さんはいらっしゃらなかったのかな?
日向寺さんにインタビューされ、山上さんとちょっと話して、ミハイルさんが待っているので、慌ただしく局を出てきました。
また白タクで(ちょっと味をしめてしまった)次の目的地、ナージャさんの家へいきました。
ここは8年前、私と母がホームステイしていたお家。
言葉が通じなくて、辛かったり寂しかったことはあっても、ここに来ると、ああ家に帰ったなという気がして、以後、機会がある度に寄らせてもらっています。
美味しいワインを飲み、ミハイルさんの通訳つきでナージャさんと話し(通訳に入ってもらったのは初めてだわ)もう一人の私の知り合いまで呼び出しちゃって、40分ほど過ごして、3時過ぎにおいとましました。4時にホテル出発だから。ホテルには3時40分に着きました。

さてここで、ホテルから外への電話のかけ方に戻るんだけれども、ミハイルさんがもう一度ホテルに聞いたところ、部屋からもかけられることが分かりました。
「昨日あなたがだめだって言ったじゃないの」と、日本語は分からないであろうカチヤさんに、思わず日本語でくってかかってしまった。頭にくると、やっぱり日本語ですね。
そういうわけでミハイルさんとはお別れして、もうなんんの役にも立たないと分かった英語ガイドのカチヤさんとともに、うちのツアーは空港に向かったのでした。
これで私の旅も終わる、はずだったのですが。

旅行記その8 エピローグ

4時にホテルを出て、5時前に空港に着きました。
そう、市の中心からも遠いし、空港にも遠いホテルなんです。
ところが着いて分かったのは、7時半の飛行機が3時間遅れるという情報だけ。
こんなことなら、ナージャさんともっとゆっくり話して、電車で帰ってくればよかった。
ナージャさんの家からホテルへも、またまた白タクをとばしたのでした。
とにかく、飛行機が3時間遅れるということは、夕食も3時間遅れるわけで、ちょうど400ルーブル残っているし、空港でなにか食べようということになりました。
ところが。一番安いサンドイッチでも、100ルーブルで買えないんです。
先ほど3人で、120ルーブルの食事をした私と母は、開いた口がふさがりませんでした。
やっとホットドックとジュースを買い、母は前に旅行社からもらった水と、ホテルの朝食の余りのパンを食べることになり。二人で食べていたら、うちのツアーの何人もの人が「その水いくらでした?」と聞きにきて、恥ずかしいのなんの。
実はこれはー、前にもらったやつなのよーと、説明を繰り返しました。
なんでも、ミネラルウォーターさえも50ルーブルくらいしたんだそうです。
なんだか、モスクワのピンとキリの食事を、一日のうちにしたような、そんな気がしました。
そうこうして余りぎみだった400ルーブルも使ってしまい、ようやく飛行機の搭乗の時になりました。
すると、今まで座っていたロシア人が、並んでいる私たちの前の方にわりこんできた!
ロシア人は好きだけど、このわりこみだけはゆるせないと、かねがね思っていたので、今回は初めて口ごたえ。
「わりこまないで下さい」というロシア語は知らなかったので「ジャマしないで下さい」と言ってみたら、引っ込んでくれたそうで、私のロシア語もたまあには役に立つなと、じがじさんしてました。

こうして成田へも、3時間遅れで着きました。
今回は今までのインドやベトナムと違い、現地の人と話したいっていう私の欲求が、完全に満たされました。アルメニアでは男の子に「マネーマネー」とつきまとわれ、あれだけは不愉快だったけれども、それ以外はみんな心よく、私の相手をしてくれました。むしろ日本人の方に、よほど心ない人がいた気がしました。
今年はもう3回いっちゃったから、しばらくどこへもいけないと思うけれど、また機会があったら、ロシア語圏にいきたいなと、そう思いました。