1999/9/15 相撲見物

大相撲秋場所4日目。曙見たさに枡席をGETしたはるちゃんだったが、前日の相撲で太股に肉離れをおこし、無情にも本日より休場。すでに休場している貴乃花と曙の2横綱が見られないのは寂しい。

枡席Bの入場券は10300円だが、飲食代とお土産代を含めると、お一人様32000円。さすがにルミチンは「デブとデブの争いを3万円も出して見たくない」とパス。枡席は4人なので、周さんと、おいらの相撲好きの友人、松ちゃんに参加してもらった。
みんな相撲を生で観るのは初めて。入場券には、なんと開場は午前8時と書いてあるが、そんなに早く行っても仕方がないし、周さんが午前中は仕事だというので、おいらも1時に現地入り。
入り口で入場券を見せると、「左側の案内所へ行って下さい」と言われた。その前においらはまっすぐエントランスホールに入る。正面のガラスケースには優勝賜杯や内閣総理大臣杯、NHK金杯、チェコスロバキア友好杯など、千秋楽の表彰式でおなじみのカップやトロフィーが並んでいる。
オノボリさん状態でいろいろ見物したあと、その案内所とやらへ行くと、通路の両側に10軒ずつ、あわせて20軒の茶屋が並んでいる。この茶屋がそれぞれ「1号案内所」から「20号案内所」なのであるらしい。江戸時代にタイムスリップしたようで、まるで異次元の世界だ。


入場券の裏には「案内所5」というスタンプが押してあったので、5号案内所へ行って、入場券を見せる。案内所のおじさんに「まだひとりだけ?」と聞かれ、たぶんおいらが一番乗りなのだろうと思い、「2時までにはみんな揃うと思いますけど」と答えると、おじさんは右手に4人分の食べ物が入った紙袋、左手にお酒とビールとジュースが4本ずつ入ったビニール袋を下げ、「では参りましょう」と言っておいらを席まで案内してくれた。
席は向こう正面なので、案内所からはとても遠い。おじさんは瓶が12本入ったビニール袋を途中で3回ぐらい下に降ろして休みながら、やっと到着。よほどおいらが持とうかと思ったが、これも料金のうちなので手伝わなかった(笑)。

はるちゃんが朝の8時から見物しているかと思ったが、やはりおいらが一番乗りだった。
桟敷がとても狭いのに驚いた。紫色の座布団(結びの一番で横綱が負けると客がバンバン投げる、例のやつ)を4枚並べ、中央に幅15cmぐらいのすき間をあけただけの広さ。おとなが4人座ると身動きが取れない。
序二段だか三段目あたりの相撲をぼんやり眺めていると、周さんが案内所のおじさんに連れられてやって来た。しばらくして、はるちゃんも登場。
松ちゃんはいつになるかわからないので、3人で幕の内弁当や枝豆や焼鳥をバクバク食べる。幕の内弁当はもっと立派なものを予想していたが、2段重ねの駅弁みたいなもの。もっとも味は駅弁よりずっとうまい。
あと「相撲あんみつ」という箱が袋に入っていたが、なんと1人2個ずつ。おいらはお土産として持って帰ることにした。

力士が入場する通路が近くだったので、のぞきに行くと、通路の奥で土俵入りのために待機している十両力士たちが見えた。「あー、本物の舞の海だー」とはるちゃんは大喜び。
そのあと、売店など、館内を探検。

4時頃、ようやく松ちゃんが到着。まさに桟敷はギュウギュウ詰め状態! 狭いよ~
どうも、このメンバーで本当に相撲に詳しいのは松ちゃんと周さんのようである。おいらが3番目で、実はチケットの手配をしたはるちゃんがいちばん相撲の知識に乏しいことがわかった(笑)。

いつもテレビで正面からしか見たことがない横綱の土俵入りを、初めてうしろから見る。武蔵丸は、まだ土俵入りが板についてないみたいだなー。

案内所のおじさんが、お茶の入った急須を何度も取り換えにやってくる。はるちゃんは、男の人がお茶汲みをする相撲社会によほどカルチャーショックを受けたのか、ずっとその話ばかり35回ぐらい繰り返していた。
最後におじさんはお土産の大きな紙袋を4つ運んできた。たまたま我々のとなりの桟敷が最後まで空席だったのでそこに置くことができたが、そうじゃなかったらひざの上にでも抱えていなければならなかっただろう。

おいらのお目当ては武双山と魁皇、土佐ノ海と出島の取り組み。武双山は魁皇の変化にあっさりと敗れたが、出島は先場所を思い出させるような猛攻で土佐ノ海を撃破! いいなあ、出島は。
横綱が登場すると、はるちゃんは何度も「ムサシマルー」と黄色い声援を送る。「そんな声じゃ届かないよー」とうしろの席のオジサンに冷やかされていた。

全ての取り組みが終わり、上位陣がそろって安泰だったので、松ちゃんは座布団が投げられなかったとつまらなさそうだった。何か食べに行こうという話になったが、ただでさえお土産の袋が重いのに、誰も飲まなかった月桂冠の小瓶4本と、バヤリースオレンジ2本を、全部はるちゃんに持って帰らせることにしたので、あまりの重さにヨロヨロしていた。かわいそうだから両国駅の近くでなにか食べようと思って駅前まで行くと、ちゃんこ鍋の「霧島」の看板が目に止まった。信号待ちをしていると、ちょうど霧島の店員が「きょうは親方も来てますよー」と言いながら店のパンフレットを配っていた。

霧島はミドリホテルというビルの1階から3階までが店になっていて、1階は回転寿司(シャレで「まわし寿司」となっていた)。2階と3階がちゃんこで、我々は3階のお座敷に案内された。

霧島のちゃんこは鶏ガラのスープで、ピリッと辛い。周さんは柚子胡椒ではないかと分析、おいらもその意見に賛成。柚子胡椒は九州独特の調味料で、胡椒といってもその実体は青唐辛子である。ツミレもうまいが、なんといっても最後の雑炊は絶品。今まで食べた雑炊の中でもベスト3に入るうまさ!

お座敷に親方が姿を現わすと、客席から大きな拍手と歓声があがった。おばさんたちはさっそく行列を作ってサインと記念撮影。はるちゃんはモジモジして、なかなかその列に加わらない。さっきの「ムサシマルー」の勇気はどこへ?

いよいよ親方が帰ってしまう直前をようやくつかまえて、サインをもらい、おいらもデジカメで写真を撮らせてもらった。親方は非常にダンディーで、基本的にチョンマゲは似合わない顔立ちだと思った。ちなみにおいらは親方と同い年だったりする(笑)。
おいらと親方が並んだ写真は撮ってません(笑)。

となりの席に、ウソかまことか「霧島の兄」を自称する、ちょっと酔っぱらったおじさんと、横浜からやってきたというご夫婦がいた。霧島の陸奥部屋(みちのくべや)の若手力士もそこへ4人ほどやってきて、いろいろ食べたり、しゃべったりしている。後援会の人なのだろうか。
「霧島兄」は我々4人に、「あとで陸奥部屋へ連れてってあげるよ。土俵を見ていきな」と言ってくれて、本当に案内してくれた。

陸奥部屋は、ちゃんこ霧島のすぐ裏にあった。

1階が稽古場で、アスファルトより硬そうな土俵があった。こんなところに叩き付けられたら、普通の人間なら骨折してしまうだろう。

わざわざ座布団を出してくれて、稽古のときに親方が座るのと同じ場所に座らせてくれた。みんなで交替に座って、記念撮影。


やはりいちばん親方の貫録じゅうぶんなのは周さんだった。

下の写真は、「霧島兄」がおいらのデジカメで撮ってくれた、横浜の斉藤ご夫妻や陸奥部屋の力士たちとの記念写真。しかし思いがけない体験だったな~。

みんなそれぞれにカルチャーショックを受け、それぞれの帰途につく。はるちゃんも、お目当ての曙こそ見られなかったが、いろんな予期せぬ体験はそれを埋め合わせておつりがきたのではなかろうか。


松ちゃんは目を大きくすれば巨人の槙原に似ている。年齢も同じ。

さて、お土産の袋の中に入っていたものは、明治屋の力士チョコレート、のれん、「貴乃花」の茶碗と湯呑、やきとり、さきいか、甘栗、庄之助最中、そして秋場所のパンフレット。ルミチンが参加していたら同じものがもう1セット増えていたわけで、パスして正解だったと言えよう。