2008/1/12 深川七福神(前編)

 
マイミクのあっちゃんの主催で深川七福神巡り。
メンバーは去年の将門ツアーの4人。
あいにくの小雨模様だったが、予定通り、11時に都営新宿線森下駅からスタート。
(それにしても、都営新宿線の急行って、地下鉄線内の駅も平気で通過するのを初めて知った。新宿から神保町までわずか7分。中央線快速より速いかも?)


桜鍋の「みの家」


元祖カレーパンのお店「カトレア」

初めてカトレアの元祖カレーパンを購入。
ここは日曜定休だし、なかなか来る機会がなかったのでラッキーだった。
辛口の方を2個買って、家に帰ってから食べたが、入っているカレーの量がすごい。
揚げるのに使っている油がきわめて良質で、あまりのうまさに2個たて続けに食べてしまったが、全く胃にもたれない。
おいらがそれほどカレーパンが好きではなかったのは、うまいカレーパンを食べたことがなかったからであることを思い知らされた。また食べたい!

まずは寿老神(寿老人)を訪ねて深川神明宮へ。
現在の建物はコンクリートで、境内に幼稚園があるなど、都会のありきたりの神社の様相を呈しているが、もともとは深川村の鎮守の宮として、慶長元年(1596年)伊勢皇大神宮の御分霊をまつって創建されたものである。

元日から1月15日までが深川七福神のご開帳期間で、色紙と笹・鈴の授与がある。
くんた君とヒサリンは自前の御朱印帳を持参しているし、おいらは雨の中を色紙を持ち歩くのがおっくうだったので、色紙と笹・鈴を買ったのはあっちゃんだけだった。

寿老神は、境内の寿老神社に安置されている。
小さくて暗くて見えにくかったので、デジカメでフラッシュ撮影。
さらにPhotoshopで補正したのがこちら。

深川神明宮の前の通りをさらに進み、「芭蕉記念館」のある交差点を左折。
地図もプリントアウトしてきたんだが、実は深川七福神巡りのルートにはオレンジ色の「のぼり」が立てられていて、ここもちゃんと「のぼり」が左側にカーブしている。


万年橋から清洲橋を臨む

布袋尊のまつられている深川稲荷神社は、寛永七年(1630年)の創立。
とても小さな神社で、町会が管理運営しているらしい。
隣りのマンションの1階が社務所兼公民館みたいになっていて、おいらは外でタバコを吸っていたが、ほかの3人は中に入ってお茶をいただいていた。おばちゃんたちが携帯ストラップなど神社グッズを作っていたらしい。

この、石の布袋様を撮影したら安心してしまって、かんじんのお堂の中に祀られている布袋様を確認するのを忘れた(-_-;)。寒さで注意力が散漫になってるな〜。


深川七福神巡りの色紙

清澄庭園の近くにある本誓寺は村田春海の墓があることで有名だが、ほかにもおもしろいものがある。


迦楼羅天の石像

迦楼羅(カルラ、英語やインドネシア語ではガルーダ)はインド神話の神鳥。
仏教では阿修羅と同じ八部衆のひとつであり、日本のカラス天狗の原形でもある。
カラス天狗は牛若丸と同じぐらいの大きさしかないが、本来のガルーダはとんでもなく巨大で、竜を常食とするという豪快な生き物である。
昔の人の想像力はなんとも大げさで、たとえば山を7巻き半もする巨大なムカデが出てくる話があるが、7巻き半はハチマキより少し短いというオチがついてたりする。オイ!


観音菩薩


竜なのか、それともワニ?(-_-;)

寛政改革を実施した松平定信ゆかりの寺・霊巖寺もすぐ近くにある。

3メートル近くあるだろうか、ここまで大きいのは珍しい地蔵菩薩(丈六の金銅仏)。
江戸深川の僧・地蔵坊正元の発願によって浄財が集められ、江戸に出入りする六つの街道の入口に一体ずつ安置された江戸六地蔵のひとつ。享保2年(1717)に建立された。
江戸六地蔵は、1番目品川寺(品川)、2番目東禅寺(浅草)、3番目太宗寺(新宿)、4番目真性寺(巣鴨)、5番目霊巌寺(ココ)、6番目永代寺(深川)であるが、6番目永代寺は明治の排仏毀釈で廃寺。その跡地に建てられたのが深川不動尊なのだとか。
地蔵も壊されてしまい、今では上野の浄名院のお地蔵様が6番目を自称しているらしい。

これも文字通り「六地蔵」。
なぜ地蔵が「6」にこだわるのか調べてみると、全ての生命は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道という6つの世界で生まれ変わりを繰り返し、それぞれの世界を救うために6人の地蔵がいるのだそうだ。ウルトラ兄弟みたいなもんか?

深川江戸資料館のある「資料館通り」を進み、オレンジののぼりが右にカーブしていった先に、3番目の神様・毘沙門天が祀られている龍光院がある。

毘沙門天とは、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)のひとり、多聞天のこと。
ここのお寺のように単独で安置される場合、毘沙門天と呼ばれるのである。
もともとはヒンズー教の財富の神であったが、仏教では四天王のひとりとして北方を守護する神となり、日本では戦闘の神として、上杉謙信ら武将の守護神として信仰されるようになった。

次の円珠院へ行く途中、浄心寺という大きなお寺がある。
ここのお寺の梵鐘は、もともと川越のシンボル「時の鐘」だったという。

調べてみると、現在の時の鐘は13代目で、この浄心寺の鐘は江戸時代に8代目の時の鐘として作られたもの。
大火で時の鐘が焼失した際、川越にある行伝寺というお寺の鐘をレンタルしたところ、音がよかったのでそのまま72年間も使っていたことがあったそうな。いいかげん返そうと思って新しい時の鐘として鋳造されたのがこの鐘だったのである。
ところがサイズを大きく作りすぎてしまい、結局、こちらを行伝寺が使うことになった。
これが戦時中に供出されたが、溶かされる前に戦争が終わり、浄心寺の檀家が買い受けて浄心寺に寄付して、今はここにあるというわけだ。なんとも数奇な運命をたどったものだが、梵鐘としてかなりの名品であることは間違いない。

円珠院には木造の大黒天が安置されている。
おいらのデジカメは光学3倍ズームなので、解像度はこれが限界だった。

こちらは境内の石造の大黒天。
大黒天は、同じ「ダイコク」と読めるところから、神道の大国主命(オオクニヌシ)と混同されているが、寺院に祀られているのはちゃんとインドをルーツとする仏神の大黒天である。
ヒンズー教のシヴァの憤怒の化身で、戦闘の神であったが、いつしかにこやかな招福の神に変貌してしまった。財富の神だった毘沙門天が戦闘の神に変わったのとちょうど逆になっているのがおもしろい。

お待ちかねランチタイム。
長寿庵蕎匠(きょうしょう)にて。


7種の具が入った七福神そば


あさりとネギのかき揚げが別盛りになっている深川天そば

従業員のオバチャンたちの朗らかな接客が心地よく、ソバも洗練された味で、うまかった!

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