2008/1/12 深川七福神(後編)

5番目の福禄寿は、心行寺の六角堂に安置されている。

福禄寿とは、もともと福星・禄星・寿星をそれぞれ神格化した三体一組の神であるらしい。
その中の寿星だけが単独で日本に伝わり、「福禄寿」と呼ばれているのだ。
寿老人と同一人物だという説もあり、それだと六福神になってしまうなあ〜。

冬木弁天堂へ向かう途中、法乗院深川閻魔堂に立ち寄る。

出た、すごい閻魔!
願い事別にお賽銭を入れる穴があって、お金を入れると仏様の説法が聴けるぞ!
それにしても閻魔って、冠に「王」って書いてあるのがマンガチックだよなあ。

法乗院の本堂は2階立てで、1階はギャラリーのような空間だった。
奥に金ピカの仏様がいたので、ここで記念撮影。

5番目までの印象が吹っ飛んでしまうほど強烈な閻魔堂を後にして、6番目の神様、冬木弁天堂に到着。

この弁天様もあまりにも小さく、遠かったので、こんな写真に・・・。


こちらは外にいる弁天様。


お堂の横に、蛇の穴が・・・

このあと、本堂の中に入れてもらい、夫婦錦蛇の剥製を見学。
撮影は遠慮させてもらったが、これは自分の目で確かめに行く価値あり!

ちなみにお稲荷さんの使いはキツネ、弁天様の使いは蛇。
どうして蛇が弁財天の使いになったのか、その経緯はよくわからない。
毘沙門天の使いはムカデなのだそうだ。
あるとき毘沙門様が弁天様に手紙を書き、ムカデに届けるように命じたところ、1時間ぐらいたってもまだ出発せず、玄関でぐずぐずしている。
何をしているのかと思ったら、一生懸命ワラジを履いていたそうな。
(落語の聴きすぎやな〜。)

弁財天は芸術や学問などの知を司るヒンズーの女神であるが、仏教でも神道でも信仰を集めている。
これはもう単純に、美人は宗教を超えて永遠の憧れだからでしょ。
そういう意味でも弁天様は、やっぱり江ノ島のセクシー弁天でしょ!

深川七福神巡り、いよいよ最後の恵比寿社へ。
恵比寿社は、富岡八幡宮の境内の中に末社として存在する。


富岡八幡宮本殿

3つの末社には、それぞれ2柱ずつの神様が同居しておられる。
向かって右から大鳥神社&鹿島神社、恵比寿社&大黒社、金刀比羅社&富士浅間社。


真ん中の恵比寿社&大黒社に祀られている恵比寿様

恵比寿様は、七福神の中でただひとり日本の神様である。
しかし、エビスには「戎」「夷」などの字が当てられるように、そもそも異邦人なのだ。
古くは毘沙門天や不動明王を本地仏とする神格として信仰されていたらしく、神道の神様ではない。海の向こうからやって来た「海神」なのである。
したがって、そもそも記紀神話とは無関係の神様なのだが、オオクニヌシの子・コトシロヌシが海で釣りをしているシーンがあることと、オオクニヌシとダイコクが混同されたことから、オオクニヌシ〜コトシロヌシという親子関係が、いつしかダイコク〜エビスという親子関係にすり替わっていたりする。
あるいは、オオクニヌシの相棒で、海からやって来たスクナヒコナがエビスと同一視される例もあり、神田明神では、オオクニヌシとスクナヒコナが、それぞれダイコクとエビスに対応している。
また、イザナギとイザナミの子・ヒルコが流し捨てられたという神話を受け、それがどこかに漂着してエビスになったという信仰もある。
そんなわけで、恵比寿様の素性というのはきわめて複雑であるが、エビスビールのイメージと相まって「ちょっとぜいたくな」神様として広く親しまれている(ホントか?)。

これは金刀比羅社&富士浅間社のナナメ裏にある富士塚。
富士山は天気のいい日には東宮原駅のホームからでも見えるし、埼京線の大宮〜武蔵浦和間の、高層ビルの立っていないエリアからはすばらしくよく見える。
江戸時代なら、ちょっと小高いところなら、関東平野のどこからでも富士山が見えたことだろう。
信仰の対象でもある富士山を拝むために、人工的に作った「ちょっと小高いところ」というのが富士塚の始まりであるらしいが、ここのはあまりにも小さく、頂上に御社が鎮座しているので、人が登るのは無理っぽい。

富岡八幡宮のすぐ隣にある、成田山新勝寺の東京別院、深川不動堂。
たしかに雰囲気が成田山っぽい。

開創300年を記念して平成14年に建立されたという、内仏殿に入ってみる。
上は、2階「四国八十八ヶ所巡拝所」の入り口に座っている弘法大師。

仏像がいっぱい。パラダイスや〜!


4階 宝蔵大日堂の大日如来(不動様の本地仏)


日本画家中島千波画伯の内仏殿天井画「大日如来蓮池図」


これも中島千波画伯による、ユーモラスな風神雷神図

いや〜、けっこう見応えあったな〜。
最後は「伊勢屋」でクリームあんみつ食べて、深川七福神オフは終了。お疲れさまでした!