読者投稿

『扇辰落語会』とは何か

早川 光
(『扇辰落語会』席亭)

 『扇辰落語会』とは、ご存じの通り、期待の若手落語家、入船亭扇辰さんを応援しようという会です。
 でも、僕がこの会を主催しようと思った理由は、ただ単に「扇辰という落語家を応援したい」と思ったからではありません。それにはまあ、さまざまな理由があります。これまでそこの所をはっきりと公けにしたことはなかったのですが、この2年間、計6回(「怪談噺の会」も含めて)の開催で、この会そのものに思い入れて下さる方も増えてきたことですし、そろそろ正直なところを書こうか、と思い至ったわけです。

 正直に言うと、僕が『扇辰落語会』をやろうと思った最大のきっかけは、扇辰という芸人に対して立腹したことでした。それはちょうど2年前、僕の「東京名物」という本の出版記念パーティに扇辰さんをゲストに呼んだときです。このとき、僕の新著の出版を祝ってくれる人たちの前で彼が演じたのは「目黒のさんま」でしたが、この出来がひどかった。しかも「東京名物」=「目黒のさんま」という程度の低い連想ゲームのような演目の選び方(「幾代餅」や「黄金餅」ならまだしも)にも腹が立ちました。

 祝いの席でしたから、もちろん僕が立腹を口にすることはありませんでしたが、もし彼が素人の客というものを嘗めて、手抜きの「目黒のさんま」を演じたとしたら、落語好きを自認する僕としては到底許せません。そこで彼が“素人の客”というものをどう認識しているのかを確かめてみたいと思いました。

 で、僕が考えたのが、寄席に行ったこともなければテレビで落語を見たこともほとんどないド素人の客を集めて、芸だけで彼らの心を掴むことが、はたして扇辰という芸人にできるのか、それを見極めようという試みでした。つまりこれが『扇辰落語会』を主催するに至った真の理由なのです。

 入船亭扇辰という落語家は、僕がいうまでもなく、今の落語界にあってまさに逸材であると思います。まず若手としては非常に熱心に古典に取り組んでいる。芸風はやや硬質ではあるけれどいわゆる“楷書の芸”でもって外連味がない。それに何より姿がいい。ちゃんと落語家らしい風貌と雰囲気を持っている。こういう人だからこそ“素人”を嘗めてもらっては困る。

 しかし、ただ素人の客を集めた、というだけでは彼に僕の真意が伝わるべくもありません。そこでもうひと捻り考えたのが“1万円の会費を取る”ということと“素人落語家の挑戦者を立てる”ということでした。
 この不景気なご時世に、たかが落語を見るために1万円を払うというのは大変なことです。ですから来て下さるお客さんはきっと過剰な期待をします。そしてプロとして素人の挑戦を受けるというのは「勝ってあたりまえ」なわけですから過大なプレッシャーがかかることでしょう。こんな状況にあって“プロ芸人”扇辰が素人客に何を見せてくれるのか、僕は少し意地悪な気持ちで見つめていました。

 結果として、第一回の『扇辰落語会』は大失敗でした。挑戦者を引き受けてくれた小川くんには申し訳ないけれど、素人落語家のレベルが低すぎた。しかもそれを受けてたつ扇辰さんの「片棒」もいまひとつの出来だった。おかげでこの時来てくれた客の半数以上は、以後2度と来てくれませんでした。

 続く第二回では、僕の危惧していた点が露呈しました。扇辰さんの選んだ怪談噺が素人客のニーズをまったく無視したものだったので、せっかく客を盛り上げた大浦さんの落語さえ相殺してしまった。これでまた客が減りました。

 今だから言えますが、この頃、次に第三回をひかえた僕の苦労は大変なものがありました。だって第一回、二回とせっかく呼んだ客がどんどん来なくなっちまうんですから。ただでさえ落語に1万円払ってくれる人はそうはいないのに、また新しい客に声をかけなくてはならない。当時の僕はまるで詐欺商法のセールスマンになったような気持ちでした。

 しかし、その甲斐あって、山中旅館でやった第三回は、はじめてそれなりの手応えを感じました。扇辰さんの「大工調べ」はしっかりと客の心を掴んでいましたし出来もよかった。このとき扇辰ファンとなった人が常連となり、今の落語会の中心メンバーとなっているわけですから、僕の意地悪な試みもやっとそれなりの成果を示したわけです。それなのに僕の回りの友人たちは、挑戦者としての僕の落語の出来の悪さばかりなじって、席亭としての器量を褒めてはくれないわけですから(笑)、非常に複雑な心境ではありました。

 年が明けての第四回は、やっと形になった『扇辰落語会』の未来を占う上では非常に大切な会だったと思います。これまでの三回は、はっきり申し上げて、僕が騙して連れてきた客ばかりでしたが、この第四回の客のほとんどは“扇辰さんの落語が聞きたくて”来た客でした。この変化は見事なものでした。そして予想通り、この日はかつてない盛り上がりとなり、ほとんどの客が満足して帰っていったという実感がありました。特に真剣に勝ちにいった大浦さんの「八五郎坊主」の出来がすばらしく感動的でしたし、受けて立った扇辰さんの「幾代餅」もプロらしい、いい意味での狡さを感じさせるもので聞き応えがありました。

 ここまで来て、やっと僕の「芸だけで彼らの心を掴むことがはたして扇辰という芸人にできるのか」という実験も結論を得た気がしました。つまり『扇辰落語会』の席亭としての僕の目的は、この時点でほとんど達成してしまったわけです。

 そこでこの秋の『第五回扇辰落語会』は、第三回で失望させてしまった僕の友人たちに“僕のベストの落語を聞いてもらう”ということを目標にしました。昨年僕が挑戦者として演じた「化け物屋敷」は、自分ではさほどひどい出来とは思っていませんでしたが、口では「絶対扇辰に勝つ」と言いながら内心は真剣に勝とうと思っていないのが親しい友人たちには見すかされていたのか、「がっかりした」「期待して損した」という声ばかりでしたので、今回は「勝つ」つもりでずっと稽古を重ねてきました。ですから、先日演じた『五人廻し』は、自分が落語会の席亭であることを忘れて真剣に勝ちにいった芸だったのです。

 ところが、いざ自分が真剣勝負に出てみたら、肝心の扇辰さんの出来が悪かったのには、些か肩すかしを食いました。扇辰さんが演じた『三井の大黒』というのは、先代の桂三木助が得意としており、その三木助の弟子であった入船亭扇橋師匠から扇辰さんに伝えられた、一子相伝とも呼べる噺ですから、それを僕との闘いにぶつけてきてくれたのは光栄に思いますが、あの日の出来は、まだまだ人前で見せるレベルには達していないものであり、それをこの『扇辰落語会』の場で演ったということには正直言って失望させられました。それでも僕が投票で負けたのは僕の芸の質が低かったということですが、あの日来てくれた、筋金入りの落語ファンである「やっぱり落語がおもしろい!」の編集長のI女史と、日頃から寄席通いをして文朝とさん喬をこよなく愛するというM君が、僕に投票してくれたということを、扇辰さんには肝に銘じてほしいと思います。

 というわけで、『扇辰落語会』の始まりから現在までを振り返りつつ、正直な心根を書き綴ってみましたが、やはりひとりの芸人を応援するというのは、相当な根気と意地(悪)が必要であることを痛感します。おそらく来年もこの会は続いていくことでしょうが、僕の根気の方は、ほとんどバテ気味です。来年はどうかあまり期待しないで、すこしさめた目で見守っていただければと思います。

 最後に、何度も投げ出そうと思った僕を、陰ながらずっと支えて下さった、友人にして“天才”素人落語家の大浦利昭さんに、心よりの感謝を申し上げます。