IQ-J

2001/8/11 吉祥寺シルバーエレファント

 プログレ観賞は仏像観賞に似ている。
 もともと仏像とは最先端の外来文化であり、極彩色や金箔に覆われたド派手なものだった。それはそのままプログレ全盛期におけるクリムゾンやイエスやジェネシスの印象でもあった。
 しかし、私のようにリアルタイムでプログレを聴いていた人間は、基本的に新しもの好きだからそれに魅かれたわけで、それだけ離れていくのも早かった。なにしろ新しくなければプログレではないからだ。
 たとえば、今でこそ名盤の名をほしいままにしているUKにしても、1978年に出たときは「何を今さら」というのが当時の大方のプログレファン(だった人たち)の印象だった。ちっとも新しくなかったからだ。そういう意味では、プログレ(≒前衛)という言葉は70年代においてのみ正しく機能していたのである。

 ところが、いま20代の若者がプログレを聴くとき、それは最初から「古寺巡礼の旅」を意味し、「新しさ」ではなく「古さ」に価値を見出している。もはや彩色も金箔も剥がれ落ちた仏像のような音楽に触れ、そこに心の平安を求めているのだ。

 では、プログレのブームが終わってから登場したIQとは、いったい何なのか。
 彼らは、さしずめ昭和や平成の時代に仏像を彫るような、非常に時代錯誤なことをやっているわけだけれども、それでも生き残ってきたのは、新しいとか古いとかいう基準に左右されず、普遍的で、なおかつ通好みの、派手さはないが魂を凝縮したような木彫りの仏像を彫り続けてきたからである。

 IQ-Jもまた、単なる巡礼者の集団ではない。
 IQの楽曲に日本人の魂を吹き込み、前衛でも懐古主義でもない、第三のプログレの道を歩む仏師たちなのだ。

(文と写真・としちん)

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