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内成棚田

53×65cm 15F

 

別府で生まれ育った人ほど別府のよさがわかっていないと指摘する人は多い。
この半年間「よく別府への移住を決意したね」と数十人の人に感心されたり呆れられたりしてきたが、その中には「どうして別府なの?」という疑問も少なくなかったのだろう。

大陸で漢民族と騎馬遊牧民族が激しく覇権を争った古代、戦いに敗れ、住む土地を失ったさまざまな民族が、極東の離れ小島である日本列島に流れてきたと想像される。
その時代、大陸人が抱いた日本列島のイメージは、風光明媚で、温泉があって、食べ物もうまいという楽園だったのではないか。
聖徳太子が説いた和の精神の背景には、日本列島は流れ者の終着駅であり、もうそこから先は太平洋に落ちるしかないという現実があったのだと思う。(自説では聖徳太子その人もペルシアからの流れ者である。)

風光明媚で、温泉があって、食べ物もうまい流れ者の終着駅と言えば、今ではまさに別府をおいて他にない。別府こそ日本の中の日本であり、その魅力は流れ者(外部の人間)の方が正しく理解できるのかもしれない。

内成棚田が別府市内に属することは、まさに別府の奥深さの一端を物語っている。