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かまど地獄

ラッキーおの:
としちんが紹介してくれた「かまど地獄」は、今のおにやま地獄上にあるのとは違い、血の池地獄上にあったんですが、現在の野村荘の場所だそうです。

としちん:
実はそれも気になってました。
たしかに昔の地図だと、かまど地獄の場所が血の池地獄の近くになってるんです。

ラッキーおの:
はっきり移転の年が確定できていないんですが、現時点でわかっている範囲では、昭和13年までは柴石温泉下の野村荘裏のあたりにかまど地獄があったのです(このかまど地獄は、八幡竃門神社など地名にちなんだ命名です)。
ところが、銀行から立ち退きを要求されたらしく、たぶん昭和14年から(?)は鉄輪の現在地に新たにかまど地獄を開いたわけです。
ちなみに「ここは地獄の1丁目」などという口上は、創設者の宇都宮七八六(なやろく)という人物が考えたおもしろおかしい解説でした。
「七八六じいさんは、地獄観光のさきがけ。油屋熊八とか宇都宮則綱とかよりも、えらい人だった」という人もおります。

NHKスペシャルで「映像記録昭和の戦争と平和—カラーフィルムでよみがえる時代の表情」というのをやっておりまして、面白かったです。
昔の映像というと、すぐモノクロを想像しますが、それをカラー映像ばかりを探し出してきて映しだすとどうなるか?
私はひごろ昔の絵葉書などをしょっちゅう見ているんですが、過剰にセピア色のベールをかけて見て居るんだろうなあと思った次第です。
つまり、カラー映像で写された昔は、意外に“ふつう”なんです。
あれ、今のぼくらとあんまり変わらないじゃないか、というような発見をしたわけです。
たとえば敗戦で大陸から引き揚げてくる映像もありました。
戦争体験談を聞いたり読んだりすると、非常に悲惨だったという(実際そうなんでしょうが)わけですが、この番組で引き揚げ船に乗る人たちの様子は(カラー映像のせいもあるし、米軍が撮影しているというせいもあるでしょう)わりと“ふつう”でした。
くどくど申しましたが、かりに100年前の絵葉書に写っている建物や町並み、人々を見て、「スゲェ、レトロ!今とまったく違うなあ」と感じるのもウソじゃないし、一方で「今のぼくらとそんなに変わらないはず」っていうのもウソじゃないって思います。

藤井@亀川:
BS2の「マンガ夜話」をホケッとみてました。むかしのマンガの表現方法や、感覚が、たとえば大友克洋の擬音の使い方とか新しいと思っていたのが、じつはむかしのマンガにちらとあったり、いわゆる「いまふう」とそんなに大差ない、というか萌芽がすでにあって「あれ、今のぼくらとあんまり変わらないじゃないか」というような感想を出演者が語っていて、私もそう思いました。
「あれ、今と変わらないじゃないか」という感想を持つことの新鮮さ、がなんだか楽しかったです。そのあと、小野さんの見られた番組を見ればよかったです。

としちん:
おいらも、昭和30年代以前の景色は白黒だったように錯覚するときがあります。
テレビと写真がカラーになってから、世の中もカラーに変わったような。
先日の小田急の「昭和展」のときに昔の映画の予告編を上映してて、「総天然色」「驚きの色」みたいなスーパーがバンバン出てくるのがおかしかった。
おいらが小さいころの写真は、まだSサイズで白黒なので、すごく昔っぽい。
池袋の下町だから、板塀とか木製のゴミ箱とか写ってるし。
デジタルで撮ってDVDに保存できる時代になっても、一方でカメラ付き携帯のチープな画像が人々に愛されているというのは納得できるものがあります。

岸ママ:
母の戦前の写真がたくさんありました。
それを自費出版した本
「母はモデルさん」
母はその時代の先線端の「モガ」のファションで現在と特別変わった服装ではないですよ。
「京都電燈株式会社・現在の関西電力のポスター」に母が出ているのですが、その時代(昭和十年)にコーヒーポット・トースターなどがあります。
もちろんまだ「日本製」のものではないそうです。
追伸・岸ママ探偵・この「母が写る京都電燈株式会社の現物ポスターを探しています」。
いつの日かこの「ポスター」に出会いますように・・・