流川通り
野上@別府:
昨日、楽天地を「極楽温泉カジノ:ベップラクテンチ」という事で再生復活させよう! という話が盛り上がった^^
鉄輪の「ジゴクランド」とセットでシャトルバスではガイドさんが「地獄極楽かんじつつ〜」という往年の別府の唄い文句がそのまま生かせますね。。
浜田温泉館は入口に移築ですな(失礼!)
もちろんあのレトロなイメージはそのままに。。
あひる競争がもちろんメインになる訳(笑)
別府駅の客引きさんはあそこで働いていただこうとか(爆)
としちん:
なんと流川通りの2枚目の絵葉書にエッチ美容室が描かれているのですが、昔は流川通りにあったのでしょうか?
吉永秀生:
ええ、ありましたね。流川をはさんで真向いは吉村薬品ですね。
戦後吉村薬品の土地が安く売りに出てて、父が買おうと思ったらしいが金が足りなかったそうです。
で、仕方なく流川6丁目に店を構えたそうな。
吉村薬品の土地を買っておけば今頃は左団扇だったかも・・・
ま、金に縁のない当店のエピソードですな、おほほ。。
堤 義明:
3枚目の写真の左端の看板は『ビリケン食堂』とその3Fのダンスホールでしょうかね。。。?
奥の方に見える錨のマークは『なるみ』?。。。
下の文章からすると、昭和初期の写真のよう・・・?
2枚目の写真は、ボンネットバスが走ってるから、戦後(昭和30年代?)のようですね。
----------以下引用
大正になって名残橋が埋められ、柳の木のふぜいも失われた流川通りは、やがて12メートル道路が舗装されると、(中略)時代は大正から昭和へと移るが、(中略)忘れることのできない物語りの一つに洋食とダンスホールのビリケンがある。
(中略)
初めは流川4丁目の裏で開業、大正15年に流川の名残橋のあったかど地、現在吉村薬局の場所に大分県一の堂々たるビリケンの大看板をあげた。
(中略)
トンガリ帽子のような屋根の上の展望宣伝塔は鹿鳴館時代を思わせるような文化的な感覚だった。初めは1階が食堂、2階がカフェー、3階がホテル、この3階のホテルがのちにダンスホール。流川の入り口に西洋の福の神といわれるビリケンの像が置かれ、これが物珍しくてひとつの人気だった。