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浜脇温泉

ラッキーおの:
(浜脇温泉の内部は)時代的に混乱した絵はがきでは?
大混雑の写真はたぶん浜脇東温泉の内部(ということは昭和3年に浜脇温泉・浜脇高等温泉に改築される前の温泉)。
丸い浴槽は昭和3年にできた浜脇高等温泉の内部では?
ということで、改築前と後がごっちゃになっている奇妙な絵はがきと思うのですが。

ラッキーおの:
入江町そのものは、現在旅館二幸荘があるたて通りなので、おおまかにはわかります。
(現在は、ほとんど駐車場とか真新しい民家に変わっていて、昔の面影はわずかです)
この写真で左右の建物の照明具に屋号が書かれていますね。
「い津つ」はたぶん「井筒」なんだろうね。
それと、あずま(東)か。
入江町は遊郭街なので、貸席だったのかな。
写真でみるかぎりでも、格子戸があって、いかにもっていう感じがあるね。
ともかくこの入江町の絵葉書はレアものだね。

右側手前の商店の張り紙は「浅井清●郎」と商店主?の名前や「一切開明之灸」?とお灸の宣伝をしているようでもあります=浅井という名字はいまでも浜脇にはあるから…
もうひとつ手前の張り紙?には「志まや(しまや)」と屋号が書かれているような?

人力車の車夫は裸足なんですね。

正面は左に(?)カーブしていて、突き当たりは旅館と塀で遮られているみたい?奥左側は3階建て(ということは旅館かな?)みたい。

全部あてずっぽうなので、地元出身の人にぜひ見てもらいたいと思っています。
重ね重ね、としちん、るみちんにサンキューベリマッチ

ス山さん、一昔前の学校や、照波園あたりのことなど、思い出を紹介してくれませんか。
特に照波園は広大な屋敷など多かったのではないですか。

ス山:
僕の記憶力が非常に弱いのは昔からよく知られていることです。(^o^)
記憶違いとかもかなりあると思います。ご容赦を。

0歳から18歳になるまでの間、照波園で過ごしましたがその間にも少しずつ変化しています。

僕の住んでいたところは、会社の保養所や別荘あるいは別宅などが多いところでした。
隣の別荘の庭によく忍び込んで遊んでいましたが、築山や池があり、露天風呂もありました。

空き地(原っぱと林)もありましたし、麦畑も近くにありました。
麦畑は小学校の頃につぶされて、住宅が増築されたり、建築会社になったりしました。

道路をはさんで向かい側とこちら側がそれぞれ源泉を持ち、そこから各家庭へ温泉を引いていました。
源泉には「地獄」と呼ぶ噴気を利用した調理場があり、ご飯はそこで炊いていました。
鍋に研いだ米と水を入れ、それを地獄へ運び、蒸篭に入れて、噴気口の上に置くのが子供の仕事でした。
1時間ぐらいでご飯が炊けていました。
長時間炊きすぎても絶対に焦げないのが火を使わないで蒸してご飯を炊く特徴ですね。
クリスマスには、鶏一羽を丸蒸しにしていました。
正月の餅作りのためのもち米を蒸すのも毎日のご飯の炊き方とほぼ同じでした。(鍋は使いませんけど)

林のそばにはちいさな(幅1mぐらい)の水路があり、小さい頃はよくメダカを採って遊んでいましたが、ある時、うなぎがいることに気づき、水路の石垣で穴釣りでうなぎを釣ったりもしていました。
そのうち近所の年長者の知るところになり、なんと夜中に懐中電灯とバケツとうなぎバサミだけで、その水路にうじゃうじゃいたうなぎを捕まえてしまいました。それはそれはたくさんいましたね。
林の中に、大きな椿の木があり、それに登って椿の花の蜜を吸っていました。
また、ムクの木もあり、まるまると太ったムクの実もおやつでしたね。

今、ホテル晴海やチャンコ吉葉があるあたりは、海ではなかったでしょうか。
あのあたりでは、アサリを採ったり、ゴカイを掘ったり、浅草のりを採ったり、テングサを採ったりしてました。
テングサではトコロテンだけでなく、寒天も作ってました。

競輪場は海へ突き出ていて、その周りは磯でしたので、穴子釣りとかもやってました。

聖人が浜公園(今婦人会館があるあたり)の極一部は、昔とほとんど変わっていませんね。
あそこの海ではベラがよく釣れました。
大潮の干潮時には膝ぐらいまで水に浸かると、トコブシやサザエがよく採れていました。

何かきっかけがあるともっといろいろと思い出してくるかもしれません。

照波園じゃないけど、春木川の日豊線線路よりちょっと海側で、15cmぐらいのアユをいっぱい掴まえたことがあり、これはあまり人の知らないことだと思います。

畠田:
今の浜脇にもこんな雰囲気がうっすら残っていますね。
再開発前の浜脇はきっとこんな感じだったんだろうなと思って、この画像をゼミの学生に配りました。
飛躍しすぎですかね?

井上@大分市:
最近、大阪で友人から<これからおもしろいとこで、飯食うからだまって付いてこい>と言われ、タクシーに乗り、通天閣近くで降りて、しばらく歩くと<こりゃーまさに 今吉原か 今浜脇か>というようなところにたどり着きました。
この一帯、<飛田新地>と言われているとこです。
夕暮れ時のこの一帯、昭和初期(私は生きてませんでしたが)にタイムスリップしたような世界でした。
この一帯の一番奥に<百番>という料理屋に入り、食事+建物見学してきました。
この建物も唐破風付きの木造で、遊郭として使われていたそうです。

<飛田百番>の画像は
http://www.ne.jp/asahi/frog/hh/osaka31.html

畠田:
”百番”の画像を見ました。凄いですね。
今度大阪に行ったら、ぜひとも食べに行かねば・・・・・

ラッキーおの:
井上さま、畠田さま
本日は長崎市からの視察グループ一行を、竹瓦温泉から見立細工など薬師祭り開催中の浜脇まで案内しました。
入江町にも足を踏み入れたんですが、例のルミチンコレクションの絵葉書とはまったく様変わりしていて、さびしかったですね。
でも、聞き取りを進めてみたいです。