遠かったブエノスアイレス(3月21日)

 
朝6時に起きて、お風呂に入り、髪を洗いました。これからしばらく、お風呂にも入れないはずだ。夜の飛行機で、日本へ帰る、その飛行時間がだいたい30時間くらいですから。
アルゼンチン最後の朝ごはんも、よく味わって食べました。クロワッサンに、スクランブルエッグに、ヨーグルト。この国はどうも、ヨーグルトを固めようっていう気持ちはないんだろうか?カップに入っていても、スプーンが付いていても、全部飲むヨーグルトです。

9時半にガイドが迎えにきて、車を待ちました。混載ツアーですから、他の人を乗せてからこっちに来るんです。
これからいく所には、ペットボトルの飲み物は売っていないと聞き、何か手持ちの飲み物がないのも不安なので、ホテルで水を買いました。一本3ドル。わり高だけれど、仕方ありませんね。

やがて車、というかマイクロバスみたいなものが来て、全部で12人で牧場へいきました。
今日はガウチョツアーです。
ガウチョというのは、こちらの言葉でカウボーイだそうです。
カウっていうから牛なのかと思ったら、牧場にいったら馬が多かったように思いました。
その牧場の遠いこと。英語ガイドは「フィフティー キロメートル」と言っていたように思うのに、後で日本語ガイドのマリアエレーナさんに尋いたら、86キロ離れているとのこと。だいたい1時間半くらいかけて、牧場へ着きました。
しかしうるさいのは、日本人のおばさんだけではありませんね。スペイン語で騒ぎ立てる客と英語ガイド、そのにぎやかさにへきえきしました。といって、怒っているわけではないようなのです。ある人は、椅子をたたいて笑っている。なにがおかしいんだか。
通訳するほどでもない話のようで、日本語ガイドも黙っているし、いつの間に寝てしまって、とりようによっては、いい休憩時間になりました。

牧場に着くと、まずミートパイをふるまわれます。これはちょっと、香辛料が入っていて、私の口には合いませんでした。
次にガイドが、乗馬にいこうと誘ってくれたけれど、どうも私は乗馬はこわいから、馬車に乗りました。その馬車の走る音を聞くと、実にのどかなのに、乗ってみるとすごい早さ!そしてすごい横揺れ!ジェットコースターみたいでした。もちろん、上り下りはしないけれども、牧場を一周するだけで、充分こわかったです。昔、北海道やインドで乗った、あんなのと違いますね!二頭立ての馬車で、一緒に乗ったマリアエレーナさんは、全然平気そうでした。
馬車を降りて、うちの母の所に戻りました。母はどうも、こういうのに乗りそうになかったから。そうしたら母が「さっき馬にナンパされた」と言うんです。寝ころんでいたら、腰の所をだれかがさわるので、ふり向いたら、長い顔があったというんです。ヘルプミーと言ったら、カウボーイらしい男の人が、アイヘルプユーと言って、馬を向こうへ連れていった、とのことでした。
私も、たぶん母とは違う馬だろうけれど、かわいいからさわってみろと言われてさわったポニー、ちょっと、ハミングした方がいいんじゃないの?と思う、ガサガサの毛でした。笑。

その後まだ時間があったので、またマリアエレーナさんと二人で、その辺をうろうろしました。
馬の他に鶏、七面鳥、アヒル、がちょう、犬、みんな放し飼いなのに、一種類、スペイン語でいうテュカンという鳥、英語名はたぶんパフィン、日本語名はにしつのめ鳥、その鳥だけ、かごに入っていました。色がものすごく奇麗で、前にテレビでみた時には、魚を食べていたように思ったのに、このかごの中には果実がおいてあったので、どうもこの牧場のテュカンは、果実が好きなんですね。

この日の気温は、携帯の天気予報によれば30度、ちょっと動けば暑いけれども、座っていればちょうどいい、但し火焼けがこわいので、火焼け止めを持ってうろうろしていました。
日本人が全然いないけど?と尋いたら、日本人は最近、こういう所へ来ないんだそうです。みんな滝とか、あるいはパタゴニアの方へいってしまうんだとか。

やがて1時過ぎになり、ごはんだよーという鐘が鳴りました。
この日は何人くらいいたんでしょうか、みなさん自分の名前の書かれた席にお座り下さあいというアナウンスがあり(もちろんガイドが訳してくれました)みんなテーブルにつきます。ごはんはもちろん牛肉!チキン!豚の血。みんな堅いお肉だったり、豚の血はすごいにおいで食べられず、私はひたすら、チョリソーというソーセージと、ポテトを食べていました。チョリソーは、辛いと思っていたのだけど、ここのは辛くもなんともなかったから。ヒューストンの空港で会ったおじさんは、こういう所に来て「牛肉がうまかった」と言ったんだろうなあ、そうガイドに話したら、牧場は実は、幾つもあるんだそうです。だから、ここでないどこかかもしれないそうです。

やがて、フォルクローレのショーが始まりました。
瀬賀さんが確か演奏していた「チャッカレッラ」という曲や、私が高校生の時、南米の曲とも知らずに、ギターとリコーダーでみんなで演奏した「はなまつり」あとはいろんな知らない曲、そういうのが延々と演奏されて、少しあきたけれど、でもなんだか、昨日のタンゴよりは私には気にいったように思えました。瀬賀さんと実は、私は一言もしゃべっていないんだけれど、なんだか瀬賀さんを
思い出して、ちょっと悲しくなる時間でもありました。

フォルクローレがずっと続いて、少々眠くなった頃、デザートのアイスクリームが出てきました。
平凡な味で、なんだか私には、ウルグアイのより美味しいように思えました。
そしてその後、デミタスのカップに入った、少量のコーヒー。
母いわく、ものすごい茶色だ、ものすごい苦そうだと言うのですが、砂糖もないのでそのまま飲むと、案外苦くありません。全部飲めました。

次はガウチョたちのショーです。
馬に乗った人が走ってきて、的のようなものに向かって輪を投げる、そんなようなショーが続き、退屈でした。
そして次は、早くもおやつの時間(ニコ)。楽しみにしていた、マテ茶です。アルゼンチンに来た以上は、どんなにまずくても、一度は飲まなくちゃね。
ところが、マテ茶を一口飲んでみて「あれ?」と思いました。想像していたような苦さがないのです。ていうか甘い!ガイドのマリアエレーナさんも「これはちょっと甘過ぎる」と言っていました。マテ茶はほんとうは、もっと苦いのですが、これはティーパックで入れて、しかも砂糖が入っていたようです。ほんとうーのマテ茶は、回し飲みするので、家族や友人としか飲まないのだ、だからレストランにいっても、マテ茶はないんだとのことでした。私は、郷に入れば郷に従えで、ここにいる人たちみんなと、間接キスすることを覚悟していたのですが、どうもそういう必要はなさそうでした。
マテ茶と一緒に出てきたのは、甘いパイのようなお菓子。中にジャムが入っています。日本で抹茶を飲む時、甘いお菓子が出る、あんな感じですが、日本のお菓子よりずっと美味しい甘さです。
私がモソモソ食べていたら、放し飼いの犬がきて、ずっと待っている様子。やがて鶏も来て、七面鳥もきて、私のお余りを待っている。そうはいくか。ひっしに食べました。

もうすぐ出発よと、英語ガイドが言いにきたので、急いで食べてトイレにいって、またバスに乗りました。
4時半頃出発して、6時にホテル前に着いたんだけれど、またまたスペイン語のおしゃべりに負けず、寝ていました。
もうすぐホテルよ、ホテルの少し手前で降りるわよと、マリアエレーナさんに声をかけられ、私たち3人だけバスを降りました。
だれかに「チャオー」と言われ、私も応えてみたけれど、そうか、こういう時にする挨拶なのだと知りました。

ホテルに着くと、ちょっとした事実が私たちを待っていました。
今、ブエノスアイレスの空港は、何かの機械がこわれて、朝から飛行機は飛んでいないというのです。そして、延泊しようにも、このホテルにはもう空室はないとのことでした。 空港が閉鎖になると、だいたい、町中のホテルは全部満室になるのだそうです。それでさっきから、マリアエレーナさんがなんだか落ち着かなかったのですね。
とにかく空港にいってみろという、旅行社からの指示で、7時に車が迎えにきて、ラッシュのため、8時に空港に着きました。
スーツケースだけでも預かってくれと、ガイドは頼んだそうだけれど、それもだめで(だめでいいわよ、まだスーツケースと離れたくないわよ)空港でトイレにいっただけで、またまた出発。
さっきのドライバーさんの運転で、旅行社がみつけてくれた、別のホテルへと向かいました。

今夜の宿は、レジェントパレスホテル。人に尋く時は「デパレサ」と言うのだと教わりました。
9時頃ホテルに着いて、なんだかお腹が空いた、夕食の通訳をしてとガイドに頼みました。母は
「あんた、こんな時によくお腹が空くわねえ」
と言うけれども、私は心配事とお腹は別なのよ。むしろ、失恋とかすると、却ってお腹が空くのよ(汗)。
ホテルのレストランで、パスタを注文してもらい、量が分からないので、一つとって母と食べました。
出てきたパスタを一口食べてみて、しまった、と思い出しました。この前、康子さんは、こんなことを言っていたのです。
「アルゼンチンのパスタはだめ。うどんの知り合い。日本人の口に合うのは、この店(ブロッコリーノ)だけ」
ほんとに、うどんにミートソースがかかったやつを、母と二人、やっとのことで半分こして食べ、だれも日本語が分からないのをいいことに、はあまずい、ふうまずいと言っていました。
食べ終わってからポーターさんを呼んで、部屋へ案内してもらうと、スーツケースがもう運ばれていました。
こうして思いがけず、もう一度ブエノスアイレス午前0時を味わうことができたのでした(たぶん続く)