ウズベキスタンの旅、二日目

 
4月5日
昨夜フロントの両替の人がなぜかいなくて、両替できなかったんで、今朝出発前、両替をしてもらいました。
旅につきものの、枕銭の説明はないので、説明がないならおきたくないわと、昨夜はおかなかったし、水を買った分は、昨夜はガイドがたてかえてくれたんです。
ちなみに枕銭のシステムは、ウズベクでもやっぱりあるそうです。
でも、知らなかったことをいいことに、最後までおいてきませんでした。汗。
4,000円を両替して、52,400スムになりました。

今日最初、というよりウズベキスタン最初にいったのは、日本人墓地。
ここは「兄弟の墓」といわれています。
シベリアが有名だけれど、ここにもたくさん、日本人とドイツ人の捕虜がいたそうです。

次は私のリクエストで、市場へ。歴史博物館は、割愛してもらいました。
ここではいろんなものを買い、いろいろ試食しました。
まず買ったのは、友達にあげようと思って香水(日本円で180円くらい)飛行機で喉がかわいたから、黒飴を500グラム。おつりがないからと、500より多く入れてくれたそうです。
そして、みんなに配るためには、いかにも中央アジアらしい、少し甘い、でも美味しいお菓子。
ロシア語のクラスでいつもお茶を飲むから、ティーパックの紅茶も買いました。
試食したのは、ひまわりの種でできたお菓子や、うまびとかいう果物、これは口にあいません。
それから、くるみそっくりの形と大きさのパンは美味しかったけれど、たまたま買わなかった。
1時間半くらい市場を歩いて、やっと出口発見。
ガイドさんが実は、迷っていたんです。
母とだけでこなくてよかった。

次はナボイ劇場を、外から写真だけ。
ここは日本人捕虜が建てたので、1964年の地震でも崩れなかったとのこと。

次はスーパーマーケット。
市場であれだけ遊んだので、買うものはなく、母の好きなオリーブの缶詰を買って出てきました。

次はチムール広場で少し休憩というので、え? もうすぐお昼なのに? レストランで休むんでないの? と思ったら、ガイドの煙草タイムでした。

次はお楽しみの地下鉄。
中央アジアで地下鉄があるのは、タシケントだけです。
ロシアのような長い早いエスカレーターはなく、階段だけで電車に乗れました。
この時隣に座っていたのが、小さい子だったので、幾つ? とか、お名前は? とロシア語で話かけてみたら、どうしてかホシぶどうとかピーナツをくれました。なんでだろ? シャフソーナちゃんという名前で、これは王様の娘という意味だそうです。

アムザンという駅で降りて、お昼のレストランへ。
ここはバイキングだから、なにか食べられると思ったのに、だめなんです。
お肉は香辛料がきついし、パンは黒パン。スープとアイスティーだけが美味しかったので、お茶ばかり飲んでいました。
朝のパン、ゆで卵、持ってくるんだったあ。
お茶が美味しいといったら、ガイドが水を買ってきて、その水をコップに空け、そのペットボトルにお茶を入れてくれました。少しびっくり。
それからここに、日本でいうユーホーキャッチャーがあって、ガイドがぬいぐるみをとったので、もらっていいかきいたら、いいと言うし、クマとイルカをもらいました。
私もこのゲームをやってみたけれど、見えないとお金の無駄ですね。
まあいいかと、手ぶらで帰ろうとしたら、店の女性が同情して? ウサギをくれました。うれしかった。

次は空港、ここで2時間くらいあったので、何かお店をみたいと思ったのに、国内線だからか、なんにもないんです。お茶はもういらないし(笑) だからガイドと話していました。

4時20分の飛行機でブハラへ。
運転手かわれどガイドは同じで、車でホテルへいきました。

夕食は近くのチャイハナで、このブハラでしか食べられないという「ナウルーズ」という料理を食べました。
毎年3月21日は、ブハラの人のお正月で、この行事を「ナウルーズ」その時に食べる料理もナウルーズなのだそうです。
これがまた...まずいの。
カレー味のじゃがいもとタマネギなので、食べられそうに思ったのに、だめですね。
空腹のまま、食事は終わりました。

ホテルの部屋が寒いだの、お湯が出ないと、何度となくメイドを呼んでも、ちっともチップを請求しないのが、すごいと思いました。
砂漠だからかなんなのか、赤いお湯しか出ません。
私には色は分からないんだけど、お湯がなんというか、鉄臭いんです。
仕方ない、その赤いお湯で髪を洗いました。
なんだか髪の毛が、パサパサになった気もしましたが、ま、我慢できなくはないからいいか。
それとここは、ホテルの部屋が広くて参りました。
二部屋分くらいあったんじゃないかな。
広くてなにが困るって、どっちがお風呂とかどっちがベッドと、しょっちゅう迷いました。
夕べのタシケントの、狭い部屋が懐かしくなりました。