ハルピン 内モンゴルの旅 最終日

 
夢の中で電話が鳴った。と思ったら、もう起きる予定の5時でした。
5時50分に集合して、55分に出発しました。
今日は空港へいって帰るだけなのですが、ガイドのきゅうさんや白さん、言葉は通じないけど運転手さんの張さんとお別れして、ちょっと寂しい気分。
ずっと一緒にいた白さんよりも、どうして私がきゅうさんといっぱい話したか、理由はあんまりないんですが(笑)きゅうさんの日本語が奇麗だったから。
上海のガイドさんは、自分の奥さんを「うちのかあちゃん」と言う人でしたが、きゅうさんは「私の妻」という、そういう奇麗な日本語だったんです。
あと、きっとだれかに言われたのでしょう。ご自分を「ハルピンのこぶ平」と言っていました。そういえば、似てるそうです。「今は正蔵に変わったのよ」と教えちゃいましたが、でもやっぱり「こぶ平」の方が通じやすいでしょうね。うちの母によると「ハンサムなのは白さん」だそうです。

空港に着き、みんなは書類を書く間、私は字は書けないので、しばしぼーっと立つ。
総ての手続きが終わって、よしお土産をみようと思ったら、母がトイレにいきたいと言い、結局、お土産をみる時間は2、3分しかありませんでした。もう、ちょうど元は使いきっていたのでよかったけれども。例によってお酒とか煙草とかチョコレート、あと携帯ストラップしか売られていないようにみえました。

8時の飛行機に乗ってから朝食、5時に起きて3時間経っていたので、ものすごくお腹が空いて、ふとまきも玉子焼きも、めちゃくちゃ美味しかった。

2時間飛行機に乗って、もう新潟空港です。
荷物を家に送る手間もなく、スカイライナーに乗る必要もなく、タクシーでぽんと家に帰れました。

前回、上海にいった時は「中国にまたいってもいいなあ」と思ったんですが、今回は正直言って「うーん、もういいなあ」と思いました。トイレがその一番の理由なんだけど、上海とか無錫のホテルは、フロントくらいは英語が通じた。今回のハルピンは、ホテルのフロントさえ、英語が通じませんでした。
「ハルピンなら、ロシア語が通じるかもしれませんよ」ときゅうさんに言われて、勇気を出して、というよりせっぱつまってロシア語でも話しかけたんだけど、全くだめでした。
「勉強しとけ、ドアホ」という、私の好きな上方落語の台詞を思い出してしまった。
その点では、韓国やインドの方が格段にいいですね。

添乗員さんとガイドには恵まれました。
ガイドのことはもう書いたけれど、添乗員さんは沖縄の時のSさん、グルジアの時のM沢さんとは、比べものにならないほど、やわらかな穏やかな人でした。

せっかく二言だけ覚えてきたモンゴル語、覚えただけで使わなかったけれど書いてみます。
おはようございます&こんにちはは「センメノー」
新潟弁の「さーめのー」(寒いですねえ)になんか似ています。
ありがとうは「バイヤル」
ルを巻き舌にするようです。
モンゴルへいく方、私の代わりに試してみて、通じなかったらごめんなさいね。(^_^)

同じようにトイレに不自由しても、ちょっとだけ言葉の通じるロシア語圏が、私はやっぱり好きだなと思いました。今年はもう無理だけれど、いつかまたロシアへいきたいな。