インドへいってきました 後編

 
インドの言葉と買い物 

インドは韓国と違って、英語が通じました。
おまけに、中2の始めに英語を挫折した私にも分かるような、中1程度の言葉で「ティー オア コーヒー?」とか「ホイッチ グループ?」など。
だから私も久しぶりに、英語をしゃべる気になれました。
サリーのお店で、私より若い女の子にだけ着せて、私はほっとかれた時「アイ ウォンテュ トライ」(そんな英語あるのか)と言って着せてもらえたりしました。
ただしその後、買え買えとかなりせめられたけれども。
またあちらのお店の人は、日本語もかなりしゃべります。
宝石店に一度だけいった時も「どの色が好きか」と尋いてくるんです。
彼女は見えないのだと付き添いが言うと、今度は「どの石が好きか」
こんな乱暴な日本語でも、外国人が言うと「さすがだなあ」と思ってしまいます。

またインドは、お土産の住み分け(?)がとってもうまくいっていて、ジャイプールでは象さん、アグラではタージマハール関係のもの、ガンジス川では川の水を持って帰れるように瓶と、その土地ぴったりのものを売っていて、ジャイプールで象を買いそこねた私は、空港でやっとみつけました。
日本みたいに「新潟のお土産でも東京で売ってる」というより、却ってこの方が味があっていいような気もしました。

言葉といえば、こんなことがありました。
町の名前の話で、○○プールという町は、ヒンデュー教の人が作った町。
例はジャイプール。
○○バードという町は、イスラム教の人が作った町。
例はパキスタンのイスラマバード。
じゃあリバプールはどうなるんだろうという、つまんない疑問はまあおいといて。
そんな話をしてくれたガイドのパンカジさんに「じゃあパンカジさんが町を作ったら、パンカジプール? パンカジバード?」と尋いてみたところ、
「私はスイミングプール」
うまい答えだと思いました。

インドへの旅デリー編

インドに着いた夜と、帰る前の一時をデリーで過ごしました。
首都デリーの人口は1000万人、かねがね「ニューデリーとデリーはどう違うんだ?」と疑問に思
っていたのですが、デリーという一つの町に、ニューの地域とオールドな地域があるのだそうです。
オールドデリーといっても、16世紀くらいだそうですが。
デリーでは一般家庭の食事を楽しんで下さいと、ガイドのサンジーブさんのお家へ招かれました。
これが全然「一般」じゃないの。
5階建てのお家の地下に、私たちが招かれたパーティールームがあって、1階はサンジーブさん夫婦や弟さん夫婦、ご両親の部屋、5階はお手伝いさんたちの家族の部屋で、2から4階は空いているというんです。
そのパーティールームには、楽団が雇われていて、インドの民族楽器の演奏も聞けました。
演奏の後は、サンダギというバイオリンみたいな音の楽器や、タブラという太鼓、てふうきんのような楽器などさわれました。
私が少し音を出せたのは、てふうきんだけでした。
ターバンというのも初めてさわりました。
長さが11メートルもある布なんですね。
それを私の頭に、クルクルッと巻いてもらい、写真も撮りました。

観光地としては、ガンジーさんのお墓へいきました。
ここはマハトマ・ガンジーのお墓、空港の名前になっているのはインディラ・ガンジー。
小学生の時に読みきれなくて担任にえらく怒られたガンジー伝の本は、どっちのガンジーだったか、今となってはどうしても思い出せない私なのでした(汗)
ガンジーのお骨やはいは、ガンジス川に流してしまったので、ここのお墓にはなんにもありません。
ただここで火葬されたのだそうで、お花がいっぱいありました。

町はとってもにぎやか、ベトナム同様、車のクラクションが鳴りやむことはありません。
しかしベトナムよりちょっと町並みがきたなくて、まずしそうとのことでした。
あと、物売りや物ごいはかなりいたけれども、すりとかひったくりはいないようにみえました。
とにかくデリーが一番寒かった。
2月の北インドはどこでも、朝は寒かったけれど、成田から着いたばかりの時は、とても寒く感じたのでした。

インドへの旅エピローグ 

ここでは、今までどこで書いていいか分からなかったことあれこれを書いてみます。

いつも私は健常者用のツアーに参加して、こういう視覚障害者用のツアーには12年ぶりで加わったんだけれども、「似たもの夫婦」という言葉があるけど、「似たものヘルパー」だなと思ってしまいました。
穏やかーな障害者には穏やかなヘルパーさんが、すごくうるさい全盲の人には、これまたものすごく人のプライバシーを尋ねてくる、私の一番きらいなヘルパーが付いていました。
私も自分と似たヘルパーさん、もしくは旦那さんが欲しいものだなと思いました。
一人で参加している全盲の人もいたけれど、私にはとてもそういう力はないから。

それから今まで、何度となく「寒い」と書いてきたけれど、どのくらいの気温かというと、朝の最低気温が5度、日中の最高気温は24度くらいでした。だからまずTシャツを着ておいて、上に長袖、その上にカーディガンと着ておいて、午後に暑くなったら、どんどん脱ぐといいです。
日ざしそのものは、日本よりきついように感じます。
だれだったかの旅行記に、インドに着いたらもう独特のにおいがして、その町のにおいだけでもう参ってしまったという一文があって、私もちょっと心配していたけれど、私の鼻にはそれは感じられませんでした。
ただ「ほらほら」といろんな人がかがせてくれる白檀のにおい、やめてー、私はあれが大きらいなんだからー(クシャミが出てしまう)

インドへまたいくかどうかは分からない、たぶんもういかないとも思うけれど、ガイドのパンカジさんにはまた会いたいと思います。
なんで手も引いてもらわなかった人にまた会いたいのかといえば、早くにお別れしてしまっていやな面が見えなかったことと、あと私の名前を憶えてくれたから。
名前を憶えられると、急に点数が甘くなります。
サンジーブさんは絶対私の名前は憶えてないと思うし、もう一人のガイドは、私があまりに買い物をしないので、最後なんかとってもきつい目をしていたそうです。

最後にデリーの空港で、ルピーを全部使いきりたくて、キャンディーを買いました。
これがなかなか美味しくて、ロシア語のサークルのみんなに配ったらすぐなくなっちゃったのですが、もっと買っておけばよかったと後悔したくらいでした。
今度お金が余ったら、キャンディーを二罐くらい買ってもいいなと思いました。
外国旅行は大好きだけど、帰りの新幹線で隣りに座った人が味噌汁を飲んでいたら、もうたまんなくなっちゃって、パンなんかもう要らない、ごはんが食べたくて、ああやっぱり私は日本人だなと思いました。