ベトナム旅行記 前編


ベトナム旅行記 プロローグ 

旅行記の最初にいきなり、最後の日のことを書くのもなんですけど、帰りの飛行機で添乗員さんが私に言った一言を書けば、どういう旅だったか分かっていただけるのではないかと思うのです。
「胃に穴があきそうだった」
新潟空港を発つ前から、一人もんくを言うおじさんがいて、ああこの人と同じバスにならないといいなあ、270人もいるんだから、一台のバスになるわけないしーと思っていたら、みごとそのうるさいおじさんが、私と同じバスだったのです。
それにうるさいのは一人じゃなかった。
ガイドブックに書かれていることをやらないでおいて文句を言う人、自分が知らないだけなのにそんなはずないといばるやつ。もうおじさんたちにはへきえきしました。
そんなに文句があるならなんでベトナムへきたのだろう。って私も文句はたっぷりあったけど。
そもそも私がなぜベトナムにいきたかったかというと、昨年のお正月、何となく試してがってんをみちゃったからなのです。
お餅の変わった食べ方をいろいろ特集していたのだけど、中国料理より韓国料理より、ベトナムのソイチェンホンが私には美味しそうにみえました。家で作ってもらっても、どうもああいう風には膨らまない。東京のNHKに電話してみたら、ベトナムにさへいけばソイチェンホンはすぐにでもあるような口ぶりだったけれども、ベトナム帰りの友達は、そんなものみたこともなかったといいます。
で、さんざんしらべて、どうも食べられるかどうかはっきりしなかったので、昨年の新潟発着のホーチミンツアーにはいきませんでした。
さんざんしらべるだけしらべさせちゃってごめんなさいね>新潟交通の樋口さん。
って一年も前のことだから、忘れちゃったかな?
今年もソイチェンホンが食べられるという証拠はどこにもなかったんだけど、ミトにいってお昼のエレファントフィッシュを食べると、その付け合わせに付いてくるかもしれないという情報を、どこかで聞いたので、だれから聞いたかは忘れたけれど、それにかけてみることにしたのでした。

旅行記その2 観光

今回私は、ベトナムのことは何も分からないし、治安も心配だったのでまるごとプランにしました。
なのでざっと、市内観光と、ミト観光と、クチトンネルの三ケ所にいってきました。
市内観光では、まずサイゴン大統領の官邸にいきました。
1975年までホーチミン、旧名をサイゴンといいますが、そこにも大統領がおりました。
最初のウインバクチュン大統領が8年間、次の大統領は一週間、最後の大統領は二日間だけの在任でした。その後はハノイが首都になったので、こちらに大統領というのはいません。
その大統領が外国人と会った応接間は、相手国がベトナムからどう思われているかによって、大統領の座る高さが違います。国内の人と会う応接間は、みんなと同じ高さに座ったそうです。
でもとにかく歩くし、お土産屋さんでも止まってくれないので、途中でリタイアして、下で座っていました。
次は教会と、私の楽しみな郵便局。
ここで葉書を買って、大急ぎで文を考え、桂宗助さんと柳家さん喬師匠と、あとモスクワに出しました。届くといいなあ。
急いで葉書を出して外へ出たら、みんなもう待っていました。
郵便局なんてみんな興味なかったのだなあ。

ミトの観光が一番楽しめました。
ホーチミンから南へバスで2時間半ほどいくと、ミトっていう町があります。
遊覧船で小さな島へいき、そこではいろんなフルーツを食べました。
パパイヤ・マンゴ・ドラゴンフルーツ・ジャックフルーツ。
でもやはり、食べ慣れているバナナとパインが、一番美味しかった。
それから島の中を歩いて、小さな船に乗りました。
大きな船では無理だったけれども、小さな船なら川面がすぐそばにあったので、手をのばしてメコンをさわってきました。あったかい水で、今にも泳げそうな温度だったけれど、私が水に落ちはしないかと、前後の人はハアーと言ってました。
また大きな船に乗りかえて、ミト市内に戻ってきました。
水戸市じゃないので(笑)梅も納豆もありません。
その代わり出ました! お昼にソイチェンホンが登場。
エレファントフィッシュなんてどうでもよい味だったけれど、ソイチェンホンは最高に美味しかった。お餅をあげて膨らませ、ボール上になったもので、テレビではボール一個を一人で食べてましたが、そこはツアーの悲しさ。ボール一個を一テーブルで食べました。だからどこまで食べていいか微妙だったけれど、四きれくらいおかわりして食べてしまいました。

クチトンネルはほんとはいきたくなかったけれど、英語の通じない町で、母と二人でお昼を食べるのが不安で、やはりいくことにしました。
トンネルには入らなかったけれど、ビデオの日本語の説明だけ聞きました。
「鬼のようなアメリカ人が」という説明、ホテルのエレベーターで会ったアメリカ人夫婦を思い出し、アメリカ人にも同じビデオを見せるのか聞いたところ、もちろんだとの応えでした(汗)
トンネルはようするに、ベトナム戦争のおり、アメリカ兵から逃げるためのシェルターでした。
そして隠れておいて、どこからでも襲う。
なのでアメリカ兵からは「ベトコンはどこにも見えないけれど、どこにでもいる」と言わせしめたそうです。
みんなはトンネルに入ったけれど、私はいく気がないから、上でアイスクリームの味の見学。
母と二人で一つを食べました。お昼が遅いというので、これで一心地つきました。
ベトナムは実は、1858年から1954年までフランスと、1975年まではアメリカと、1989年まではポルポト派と戦争し、そのあいまに中国ともゴタゴタやっていたので、ほんとうに最近やっと平和になったのだそうです。

旅行記その3 食べ物

ガイドブックによれば、ベトナムの食べ物はタイほど辛くないし、とにかく中国やフランスにいじめられた分、各国の料理が入ってきて美味しいということでした。
ただ、辛くないといっても、文字どおり「タイほど」辛くないだけで、私には辛いものが多かった。柳家小三治さんが絶賛していたベトナムの塩も、なめてみたら私にはまずかったので、買ってきませんでした。
ただ四日目、2/16のお昼のヤムチャはとても美味しく、いろんなはるまきが一つずつ出てきて、もちょっと一度に食べたかったけれど、それでも美味しかったです。
その同じ16日の晩はフランス料理で、うちのツアーのみんなはちょっと期待していたのに、これがバカまず。魚がメインディッシュだったんだけど、堅くて全く味のない魚でした。
朝ごはんが一番ふつうで、スクランブルエッグ、フライドポテトなど、食べつけているものを食べました。フォーも朝のバイキングにあったけれど、一度食べてやめちゃった。
フォーっていうのは、香辛料のいろいろ入ったうどんというかラーメン状の食べ物。
きらいではないけど、また食べたいとは思いません。
ただ、新潟で食べたのとそっくりだったので、驚きました。
その他、朝のバイキングにあったものでめちゃくちゃ美味しかったのがしゅうまいでした。
ロシアのペリメニにほんの少し似ていて毎朝食べていました。
あと、お茶がまずかった。
どこか外国へいって、お茶がまずいと結構きついです。何かの時、いちいち飲み物をとらないといけないから。
蓮の花茶といって、ジャスミンティーより三倍くらい臭いお茶でした。
私はジャスミンティーもきらいなのに。
ただ二つ美味しいものを挙げるなら、一つはソイチェンホン、語りつくせないくらい美味しいです。甘さがほんのり口に広がります。
そしてもう一つがベトナムコーヒー。
新潟のイミグランツ・カフェというベトナム料理店でも飲んだんだけど、それより数倍美味しいです。
免税店にいくと、暑いでしょうさあどうぞとアイスコーヒーを出してくれるのがうれしかった。
そういう時はお菓子も試食できるので、いろいろ食べて買ってきました。
でもソイチェンホンだけのために、またいくわけにもいかないから、たぶんもうベトナムはいかないだろうなあと思いました。

旅行記その4 言葉 

実はこれに大変いらいらしました。
最初の日にいった中華のレストランで、飲み物を注文しようにも通じないのです。
Do you speak english?
なんていう、中1の時に習った英語を口にしてみても、ウエイトレスは無反応。
敵も困ったらしくって、ガイドを呼んできましたが、食事の時にガイドと添乗員が消えちゃうのは、最後まで続きました。
何か相談をしたいのかもしれないけど、私と同じテーブルに座れなんて言わないから、呼べば聞える所にいて欲しかったです。
ガイドブックによれば、ベトナム語の他に英語やフランス語、北部では中国語やロシア語も通じるというけれど、ベトナム語以外ほとんど耳にせず、ミトにいってようやく、韓国語や中国語を聞いたくらいでした。
といっても、中国語とベトナム語はなにかリズムが似ているので、知ってる単語がわずかにあれば中国語、そうじゃなければベトナム語かなあと思っていましたが。
ホテルのフロント以外では、英語さへめったに耳にしませんでした。
ところがある人々が、ひんっぱんに日本語を話します。
だれあろうそれは、物売りの子どもたち。
「おーいおじさん、15個でしぇん円。どうして買わないの。買わない私かわいそう。私ごはん食べないよ。おーい」
きっと正しい言葉に治せば
「買ってくれないと私かわいそう。買ってくれないと私ごはん食べられない」
こういう意味なのでしょう。
ところで知識というのは、ない人の所にはいかないものだと思いました。
私も幾度かガイドにベトナム語を質問して、答えはもらったんだけれど、憶えてないのです。下地がないので、聞いた後から忘れるみたい。
唯一頭に残っている言葉は、ありがとうの「ガンムー」と「進軍歌」だけなのでした。
進軍歌については、また後でね。