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おいでよムールマンスク その1

 
こんなものは要りますか?
要らないって言われてももう送っちゃうんだけど。
落語のレポじゃないですが、よかったら 読んでいただけたらうれしいな。

96年1月、初めてモスクワにいきました。
そしてこれなら住めそうだと思って、6月に今度はホームステイでモスクワへいきました。
その6月の旅の帰り、1月に同じツアーだった人に空港でばったり会い、懐かしくって話しかけたんですけど、そのおじさまは「(今回は)ムールマンスクへいってきた。すごくよかった」と言っていたのです。その言葉が私の心にずうっと残っていて、いつの日かムールマンスクへいこうと思い続けていました。
そして6年経ち、ムールマンスクへいくツアーも幾つもつぶれて、ようやく手配旅行という形でいけることになりました。
旅行社が航空券やホテル、その他いろんな手続きをしてくれるのですが、実際に動くのは私と母だけ。
そういう旅をしてきました。
実はツアーの時の何倍もお金がかかったのですが、私だけの五日間を過ごしてきました。
その話を書きます。

7月10日は、上野でミニオフをした後、 成田で一泊しました。
台風6号のものすごい雨で、11日は どうなるかと思いきや、翌日は晴天。
あっさり飛行機は飛び立てました。
飛行機の中で「忍者ごっこだあ」と走り回っているくそがき、いや子どもさんがいて、こんな小さいうちからモスクワにいけるなんてうらやましいなと思いつつ、うるさいので憎らしく感じました。

「モスクワへようこそ」
機内アナウンスでそう言われて、ちょっとうれしかったのはそこまで。
てっきり日本語ガイドがいるのかと思いきや、英語のガイドが空港にいるだけで、そのラリーサさんという人は、私たちをドライバーに引き渡すだけでした。
ドライバーさんも無口なのかなんなのか、話しかけても答えてくれず、寂しかった。

ロシアホテルに着いてからも、大変なことが待っていました。
翌日の予定のため、そして14日のために、二人に市内電話をかけなければいけなかったのですが、どうしても部屋から電話をかける方法が分からなかったのです。
ディジュールナヤさん(ホテルの各階にいて、フロントのような役割をする人)にコードを聞いてもかけられない。
もしやあなた方はお金を払っていないのではと言われ、市内電話は無料だと書いてあったのにーと思いつつ、仕方なく遠いフロントへ電話のお金を300ルーブル払いにいきました。
これは、なんというか、部屋からの回線を開いてもらうお金。チェックアウトの時には返ってきます。
結局市内電話は 無料ということになるんだけれども、そういう難しい手続きがあるってことを、ちょっと教えておいて欲しかったです。
とにかくヘトヘトになった8時半頃、ようやくエレーナさんという、翌日に会う約束の人に電話をかけられたのでした。ホテルに着いて1時間半後のことでした。
とにかく私の部屋からは、ディジュールナヤさんの所も遠かったし、フロントなんか別棟だったので、聞きにいくだけでもヘトヘトでした。
生まれて初めてロシア語で電話をかけたので、通じているかどうか不安だった。
そしてその不安は、ちょっとだけ的中するのです。
もう一人、日本人に電話をして、もうクタクタになって7月11日は終わったのでした。
ミルク。 
 

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