The Future Now 1978

ボウボウに伸ばした髭を、顔の左半分だけそり落とした奇妙なジャケットが話題になった。
日本盤LPも発売されたが、イギリス盤ではジャケットが折り畳み式になっていて、顔を片側ずつハミルの手で隠して遊べるようになっていた。

オープニングの"Pushing Thirty"で、"Me, I'm pushing thirty, pulling sixteen ・・・"と歌っているように、このジャケットはこの年で30歳を迎えてしまうピーター・ハミルと、彼の中の永遠の16歳であるリッキ・ネイディアを同時に表現したものと考えられる。
ハミルの世代にとって、30歳を過ぎてなおロック・ビジネスを続けるということは重大な覚悟を必要とすることだったようで、"I still can be, I still can be Nadir"と歌うハミルは、本作において新たなる決意を表明しているのだ。
また本作は、VdGが完全に終息した年に発表された、本当の意味での「ソロ宣言」でもある。それを裏付けるかのように、基本のサウンドは全てハミル自身が行ない、サックス・パートのみデヴィッド・ジャクソン、バイオリン・パートのみグラハム・スミスを起用している。

タイトル曲の"The Future Now"は、洗練された優雅なメロディと、リッキ・ネイディア的な激情みなぎるヴォーカルという、相反するものの「不調和」によって織りなされている。
"A Motor-Bike In Africa"は、ピーター・ガブリエルの"Biko"と同様、アパルトヘイト(南アフリカの人種差別政策)に関する曲。