2015/10/13〜15 徳島へ

 
10月3日、徳島の父(85)が3月、7月に続いて今年3度目の入院。
今回はいよいよヤバイみたいで、7日に兄(京都在住)が病院へ行き、9日にいったん京都に帰り、その後「危篤」みたいな知らせも特にないまま、12日の夕方に亡くなってしまった。

2007年撮影

翌13日(火)、徳島の病院で兄と合流。
父の顔は別人のようにやつれているという風でもなく、静かに寝ているような感じだった。
死因は「心不全」だが、ほとんど老衰だったのだろう。
午後2時に斎場の霊安室まで車で遺体を運んでもらい、葬儀の打ち合わせ。
明朝の徳島新聞の「お悔やみ申し上げます」欄に載せてもらうことに。
役場で火葬許可書をもらい、スーパーで買い物をして母の待つ家に帰宅。
母は2年ほど前からボケ始めていて、あまり事態を飲み込めていないようす。

14日(水)、新聞に載る。

9時半に兄と2人で斎場へ。
母を最後のお別れに連れて行くかどうか迷ったのだが、兄の判断で普段通りデイサービスの車に迎えに来てもらった。
父には生前、葬式はしなくていいから焼くだけにしてくれと言われていて、出棺前の焼香も息子2人だけで行なう予定だったが、新聞を読んだ父の知人とおぼしきおばさんたち3人が参列してくれて、棺に花も入れてもらった。
おばさんたちと会話をするヒマもなく、10時に火葬場へ。

停まっているのは霊柩車じゃなくてコカコーラです(-_-;)。

大量のカラスがいかにもな雰囲気を醸し出している。

12時過ぎにお骨になって、またスーパーで買い物をして帰宅。
(おいらのバッグにはお骨が入ったままだし!(-_-;))

母がデイサービスから帰って来て、仏壇に線香を上げて拝んだあと、お骨を指さして
「で、これは誰?」
おいおい。

葉書を出す人を選別したり、古い写真を見ながらの思い出話に花を咲かせる。
母は、昔のことはけっこう覚えているが、順序はあっちゃこっちゃになっているようす。
脳内の一時記憶とインデックスの機能が壊れてしまっているのだろう。
しかし冗談を言うときだけは普通に頭が回転しているようで、こうして3人で談笑していると40年前にタイムスリップしたようだ。

昭和っぽい写真! 上野の不忍池だそうで、おんぶされてるのがおいらです(^^;)。

こちらは池袋。

15日、きょうも母は平常通り8時すぎにデイサービスの車に乗って出発。
兄は午前中、自転車で役場などを回り、おいらは留守番。
午後、兄が買ってきた弁当を食べ、おいらは3時すぎの電車で帰ることに。
(兄は18日(日)の朝まで徳島に残っていた。)

勝瑞から乗ったのが鳴門線だったので、池谷で高徳線に乗り換え。

高松で瀬戸大橋線に乗り換え。瀬戸大橋から見た瀬戸内海の夕日。

岡山から新幹線。初めて乗る鹿児島中央行きだが、小倉で降りるので意味なし(-_-;)。

新幹線の内部。

小倉でソニック(大分行き)に乗り換え。
少し時間があったので、ホームのうどん屋で丸天うどんを食べる。

さつま揚げ、福岡では丸天。
福岡で「天ぷらうどん」は丸天うどんを意味し、東京風の天ぷらうどんは「海老天うどん」という。
店名にもなっている「かしわうどん」とは、甘辛く煮た鶏肉の肉うどんで、丸天うどんにも少しトッピングされている。
「小倉駅8番ホームのうどん屋」と言えばクッキングパパにも紹介され、鉄道ファンの間でもけっこう有名店であることをおいらはあとで知った!

個展に出品する作品がほぼ仕上がり、絵具を乾かしてあとは開催を待つばかりという絶妙のタイミングで亡くなった父。
ちなみに仕上げ中だった作品は「血の池地獄」(-_-;)。ちゃんと天国に行ってくださいよ〜。