2015/2/28〜3/15 引越への道(1/4)

2/28〜3/4
徳島へ(1)
3/7〜13
東京会議(壮行会)
3/5
徳島へ(2)
3/14〜15
引越完了

2月28日(土)

引越屋さん2社に見積もりに来てもらった結果、別府までという長距離に加え、引越シーズン真っ只中で、どえらい料金を提示されてしまった。
夜、電話をかけてきたルミチン父にそのことをポロッともらしてしまうと、ルミチン父はいかに引越代を安く上げるかというテーマに異常に入れ込み、しまいには4トン車をレンタルしてオレが運ぶとまで言い出す始末。さすがにそれは家族一同の猛反対で却下された。
ルミチンから、23日予定の引越を13日に前倒しするという案も飛び出した。
たしかにそうすれば引越料金も2割は安くなるが・・・
徳島県立中央病院から父が3月2日に退院するので迎えに来てほしいと言われているのであしたは徳島に行かなければならないし、いろいろ大変〜。

3月1日(日)

今朝もルミチン父との長電話で出発が遅れた結果、岡山で50分のロスタイムが生じ、徳島の実家に着いたのは19時。すっかり暗いし、寒い〜!
ただ、スマホの充電コードという重大な忘れものをしてきたのだが、岡山でのロスタイム中に途中下車させてもらい、駅前のビックカメラで買えたのは不幸中の幸い。
(また、のちにこれは WIMAX 2+ の充電器を踏んづけて USBケーブルのコネクタが曲がってしまったとき、即座に代用品として使うことができた!)

3月2日(月)

母と、母が通っているデイサービスのケアマネージャーさんとおいらの3人で病院へ。
ところが、退院という話だったのに、入院前から食が細くなって栄養失調気味だったのに加え、1週間の入院で筋力が衰えて歩くのも困難な状態で、普通に日常生活ができるレベルに戻すためのリハビリが必要だという。
病名は「高CO2血症」で、血液中のCO2濃度が普通だったら意識不明もしくは死んでるレベルの数値であるらしい。
父の場合は奇跡的に意識も明瞭なのだが、それでも就寝時にCO2を排出するマスクを付けないとどんどん数値が上がってしまうので、それを退院後は家で自分で着けられるように練習してもらう必要があるという。
リハビリができる、受け入れ可能な別の病院が見つかり次第転院してもらうが、それまでは入院続行ということで、結局、売店で父が食べたいという大福を買い、おいらが身元引受人と連帯保証人のサインをしに帰っただけという結果に終わってしまった。
いったん家に戻ったあと、13時には再び大宮に向かって出発。

梅が満開。

瀬戸内海。

岡山と言えば祭ずしでしょ!

帰宅後、あしたが燃えないゴミおよび資源ゴミの日なので、大量のゴミ(本、カセットテープ、VHSテープなど)を下の集積場に運び出す。

3月3日(火)

引越屋に13日で正式に依頼。
高くても専門業者の方が安心だし、面倒がなくていい。
荷物が現地に届くのは2日後の15日の午前中になるらしいので、13日は都内のカプセルホテルにでも泊まり、14日に大分へ飛んで、別府の不動産屋で新居の鍵を受け取り、その夜だけビジネスホテルに泊まればいいだろう。
なお、ルミチンはしばらく東京に残って仕事を続けるため、狭山の実家に戻る予定。
さっそく別府の不動産屋に電話して入居日を14日にしてもらい、ネットで14日の羽田11時発大分行きのソラシドエアと別府のホテルはやしを予約。
ついでにネットで NTT、水道、ガス、電気を解約。
ガスは引越当日の午前中に立ち会う必要あり。

宮原の不動産屋に寄り、マンションの解約手続きを完了。
引越が完了した時点で見に行くので、当日の作業時間がわかり次第連絡してほしいとの事。

そんな中、徳島県立中央病院から電話。
なんと、5日に北島の病院に転院が決まったので、立ち会ってほしいという電話(-_-;)。
当日はパジャマを持って来るようにとも・・・
心が折れそうになりながら、イトーヨーカドーへ父のパジャマと下着を買いに行く。

3月4日(水)

またまた徳島へ。
しかし今回は意外と気持ちに余裕があった。
きのうかなりの手続きが進んだことと、引越が早まったことで、ラスト1週間に集中して荷造りをするしかないと開き直ることができたからだろう。
東京駅でお弁当と、母へのお土産に舟和の芋ようかんとあんこ玉の詰め合わせを買う(ホントは自分が食べたいから)。

平田牧場のとんかつ弁当、うまい!

また瀬戸内海。

屋島が見える。

今回はまだ明るいうちに到着(^_^)。